休憩|岡埜製菓

岡埜製菓

11時35分。明治25年(1892)年創業の老舗和菓子店・岡埜製菓(おかのせいか)に到着。オレンジの看板が目立つ。写真下の青いマスクをしてリュックを背負っているオレンジ色は看板ではない。案内役の高橋PWさとしさんである(笑)

食べていただきたい名物があるんです

ショーケース|岡埜製菓

岡埜製菓といえば、こしがや愛されグルメにも認証されている「越谷くわい銘菓」(くわい大福・くわい饅頭・くわいの里)で知られているが、砂糖をまったく使わない塩あん大福(塩あんびん餅)が名物。「岡埜製菓の塩あん大福をぜひお二人に食べていただきたい」という高橋さんのおすすめで、三人で塩あん大福をいただくことに。

塩あんぴん餅のおいしい食べ方があるんですよ

塩あん大福(塩あんぴん餅)

「塩あんぴん餅のおいしい食べ方があるんですよ」と、大女将が、きなこに砂糖を少しまぜた紙皿の上に塩あん大福を載せて持ってきてくれた。まずはそのままでいただく。「しょっぱ~い!」ということはなく、小豆本来の甘さがほのかに感じられる。次に、きなこに砂糖をまぶしたものを付けて食べてみる。「おっ!よりいっそうおいしくなった」。あべかわ餅の風味に近い。「昔は農家ではふつうに塩あんぴん餅を作っていたんだけど、今はもう作る家はなくなったねぇ」と大女将。

昔なつかしお菓子やさんのガラスケース

ガラスケース

塩あん大福を食べながら店内のガラスケースに目が止まった。お~!これは昔なつかしのお菓子屋さんとか駄菓子屋さんにあったガラスケースではないか。「昔、昭和の時代、このガラスケースの中にお菓子がいろいろ入っていて、それを量り売りしてたんですよね。懐かし~い」。(大女将)「そうだったねぇ。量り売りなんてもうやるお店はなくなったけどね」。岡埜製菓も今はもう量り売りはやっていない。店内のガラスケースが昭和を物語っている。
 
大女将とすっかり話がはずみ、昔は、建前(たてまえ)だとか七五三だとか結婚式だとかお祝い事があると、赤飯や鯛をかたどった「生尺鯛」(なましゃくたい)などの和菓子が縁起物として使われたこと、当時はお祝い事の注文が多く目が回るほどの忙しさだったこと、生尺鯛の注文は今はないが(昭和40年の前半ごろまではあったそうだが)、生尺鯛を作るときに使う木型は今でもお店に保管されていること……などなど話が尽きない。
 
もっと大女将の話を聞きたかったが(後ろ髪を引かれる思いで)岡埜製菓をあとにした。

元荒川橋

元荒川橋

岡埜製菓を出て、元荒川に架かる大沢橋の手前の信号・越ヶ谷本町を右折。200メートルほど歩き、元荒川橋手前の横断歩道から足立越谷線(県道49号線)を渡る。

元荒川右岸の土手道|御殿町

元荒川右岸の土手道|越谷市御殿町

元荒川右岸の土手道を下流に向かって進む。住所は越谷市御殿町(ごてんちょう)。木々も色づき始めている。35年ほど前、ちょうどこのあたりの対岸、元荒川の左岸に、野生化したニワトリ(白色レグホン)が十数羽棲みついて、河川敷の木の上で暮らしていた、という話になって、三人で盛り上がる(笑)

越ヶ谷御殿跡

越ヶ谷御殿跡

土手道の右側に「越ヶ谷御殿跡」(こしがやごてんあと)と刻まれた石碑が建っているが、この場所には、徳川家康が立てた御殿があった。越ヶ谷に立てられた御殿なので「 越ヶ谷御殿 」と呼ばれた。ちなみにこのあたりの地名は「御殿町」(ごてんちょう)という。なお石碑は平成11年(1999)3月に越谷市教育委員会により建立されたもので、越ヶ谷御殿は越谷市の記念物(旧跡)に指定されている。

越ヶ谷御殿とは

徳川家康によって慶長9年(1604)に設けられた御殿のこと。越谷での鷹狩りが好きだった家康の休憩・宿泊所として設けられた。第二代将軍・秀忠は二か月近く滞在して鷹狩りを楽しんだとの記録も残されている。明暦3年(1657)の江戸大火で江戸城が焼失したときに、将軍の臨時の居城として、越ヶ谷御殿が二の丸に移された。跡地は畑地として開墾されて年貢地になった。現在は、当時の面影を伝えるものは何も残されていないが、『越谷ふるさと散歩』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)「越ヶ谷御殿と会田出羽」の項には「大正13年(1924)元荒川改修工事のさいに、御殿の礎石とみられる大きな角石が数個出土したといわれる」とある。

逆川と元荒川の伏せ越し

逆川

越ヶ谷御殿跡碑のうしろに見える用水路は葛西用水。通称・逆川(さかさがわ)。逆川は、古利根川(ふるとねがわ)の松伏溜井(まつぶしためい)を起点に、元荒川へと水路が続いているが、元荒川に合流するのではなく、元荒川の下をくぐって(※2)さらに水路が続いている。この場所では、元荒川の下を逆川(葛西用水)が流れているのである。川と用水路の立体交差点といったところか。

※2 川と用水路が交差する場所で、用水路を川に注ぐのではなく、川底をくぐらせるための工法を伏せ越し(ふせごし)という。伏せ越し工法とも呼ばれる。

伏せ越しの堰

伏せ越しの堰

上の写真は越ヶ谷御殿跡から対岸(元荒川左岸)を望んだ風景。正面に見える二本の木の間が逆川。木と木の間にある茶色の設備は逆川の水路を元荒川の下にくぐらせるための伏せ越しの堰(せき)。逆川は元荒川の左岸側から元荒川の下をくぐって右岸側(越ヶ谷御殿跡碑のうしろ)に出て、しらこばと橋付近の瓦曽根溜井(かわらぞねためい)で、葛西用水と八条用水に分水し、草加・八潮方面へと続いていく。

建長元年板碑

建長元年板碑(正面)

越ヶ谷御殿跡の50メートルほど先にあるのは、越谷市に現存する市内最古で最大の板碑(※3)。高さ155センチ・幅56センチ。鎌倉時代中期・建長元年(1249)の銘がある。中心に大きく刻まれている梵字は阿弥陀如来をあらわす「キリーク」。この板碑は「建長元年板碑」(けんちょうがんねんいたび)の名で越谷市の有形文化財(考古資料)に指定されている。

※3 板碑とは、鎌倉・室町時代にかけて盛んに造られた石造りの供養塔=卒塔婆(そとば)のこと。板状の平たい石で造られたことから板碑と呼ばれている。板石塔婆(いたいしとうば)ともいう。

横から見ると板のように平たい

建長元年板碑(側面)

横から見ると板のように平たいのがよく分かる。板石塔婆は全国に分布しているが関東に多い。越谷周辺で発見されている板碑は秩父の青石(緑泥片岩)で造られている。秩父産の緑泥片岩を加工して造られた板碑は、青石塔婆(あおいしとうば)とも呼ばれる。

稲荷神社

稲荷神社|越谷市御殿町

板碑の並びにある小さな社(やしろ)は稲荷社。鳥居の扁額には「稲荷神社」とある。創建年代は不詳だが、御殿町ゆかりの神社で、明治20年(1887)ごろまでは、徳川三代将軍・家光の書いた額があったが、盗難にあって、今はない。

宮前橋

宮前橋

越ヶ谷御殿跡・稲荷神社をあとにし、道を進むと、元荒川に架かる宮前橋(みやまえばし)に出る。現在は鉄筋コンクリートの橋になっているが、かつては寺橋と呼ばれた木造の橋だった。橋を渡ると越ヶ谷久伊豆神社と天嶽寺の参道前に出る。

かつて橋の下は遊泳場だった

宮前橋から望む元荒川

今はまったく面影はないが、なんと、昭和30年の中ごろまでは、寺橋の下は夏になると、公式の水泳場(寺橋水練場)になって、多くの子どもたちや親子連れでにぎわったという。ちょうど上の写真のあたり。当時の様子と写真が『広報こしがやお知らせ版』平成30年7月の越谷市制施行60周年企画 越谷の軌跡(越谷今昔物語 第九話 越谷市内の元荒川)で紹介されている。以下、引用。

天嶽寺前の寺橋付近は流れも穏やかで、昭和35年までは子どもたちの水練場となり、子どもたちが元気に泳ぐ姿が夏の風物詩となっていた。寺橋は取り壊され、昭和34年に宮前橋が完成。その後、平成15年に架け替えられ、現在は長さ70メートル、幅6メートルの、歩行者・自転車専用の橋となっている。

元荒川で泳げた、しかも遊泳場まであったとは驚きである。

久伊豆神社

宮前橋を渡って越ヶ谷久伊豆神社に到着。久伊豆神社といえば板石が敷き詰められた長い参道。長さはおよそ500メートル(正確には470メートル)。参加者のひとりKさん、参道をスマホでパシャリ!入口に張られている注連縄から先が神域。ちなみに越谷市には久伊豆神社が八社ある。

緑の森公園

緑の森公園(紅葉)

拝殿に向かう途中、参道の西側にある緑の森公園に立ち寄る。紅葉が見ごろになっていた。春先に満開を迎える枝垂れ桜は隠れたお花見の名所。五月中旬には、西側の花壇で約465株のシャクヤクが大輪の花を咲かせる。この公園(緑の森公園)は、案内役・高橋PWさとしさんおすすめスポットのひとつでもあるそうだ。

御霊水

御霊水

境内の一角に御霊水(ごれいすい)がある。手水舎(ちょうずや)の先、右手。かつては湧き水だったが、今は地下水を汲み上げている。飲用可。ペットボトルに御霊水を詰めて持ち帰る人も多い。三人それぞれぞれ、御霊水を手ですくって、ありがたく霊気をいただいた。

神楽殿

神楽殿

神楽殿の横にあるイチョウの黄葉が見ごろを迎えていた。

三ノ宮卯之助の力石

三ノ宮卯之助の力石

拝殿を正面に見て右手にあるのは三ノ宮卯之助の力石(さんのみやうのすけのちからいし)。江戸時代後期、日本一の力持ちとうたわれた越谷出身の三ノ宮卯之助が持ち上げて奉納されたといわれている。重さは五十貫目というから約200キロ。そのほか、足止めの狛犬や伊勢神宮から譲り受けた第三鳥居の話など、久伊豆神社の見どころを高橋さんが解説してくれたが、内容は割愛。

中町浅間神社の懸仏

中町浅間神社の懸仏

先ほど訪れた中町浅間神社の懸仏(かけぼとけ)も見ていきましょう、ということで、参集殿へ。参集殿内にある展示コーナーのいちばんすみっこに展示されていた。

街路樹の黄葉

12時35分。「そろそろおなかもすいてきましたからお昼ごはんを予約してあるお店にご案内します」と、案内役の高橋さんに連れられて、お店へと向かう。街路樹のイチョウもだいぶ色づいてきた。
 
道すがら、参加者のKさんが、先日、旅行で甲府に行ったとき、宿のフロントの女性が、桔梗屋の信玄餅工場テーマパークを熱心にすすめるので、宿からどのくらいの距離なのかと聞いたところ「ここから道をまっすぐ歩いて1キロほどです」と言うので、それじゃあ行ってみようということになったが、歩いても歩いてもそれらしき施設が見えない。道に迷ったかと不安になって地元の人に聞いたら「あっ、桔梗屋ね、ここから1キロほどだよ」と言う。けっきょく1時間半歩いてやっと着いた。甲府とこっちの「1キロ」は長さが違うのか、という話をしてくれて、大笑いした。