六地蔵
ブロック屋根囲いの小屋の中に、二組の六地蔵が安置されている。六地蔵は後列のほうがやや古い感じがするが、造立年代は不詳。
前列の向かって左から三番目の地蔵尊の台石に、江戸中期・享保7年(1722)の銘が刻まれている。他には造立年代が確認できる銘は見あたらなかった。
多宝塔
六地蔵が安置されているブロッグ小屋の隣に多宝塔がある。
銘文|正面
塔身・軸部の正面に「元禄十六癸未年」「奉造立供養地蔵菩薩像六軀」の銘が刻まれている。元禄16年(1703)に、地蔵菩薩像六体を造立したということは、もしかしたら、ブロック小屋に安置されている後列の六地蔵のことかもしれない。
銘文|側面
側面には、「百堂同行四拾二人」「念佛同行郷中□□」のほか、「武州崎玉郡越ヶ谷領七左衛門村」「本願施主」の銘や地蔵尊を示す梵字五文字が刻まれていた。
補足
ブロッグ小屋の六地蔵が、この宝塔に刻まれている「奉造立供養地蔵菩薩像六軀」なのかどうかは、今回の調査では確認できなかったので、改めて調査を行ないたい。
境内
本堂の前には不動明王像が本堂を守るように立っている。
境内には石仏は見あたらないが、大きな宝篋印塔のほか、木の茂みの中に、弘法大師一千五十年遠忌の大きな自然石による供養塔と明治元年の句碑が建てられている。無縁塚も印象的な光景だ。
宝篋印塔
江戸中期・元文2年(1737)造塔の宝篋印塔。
弘法大師供養塔
弘法大師供養塔。巨大な自然石に「弘法大師 一千五十遠忌 供養塔」と刻まれている。
句碑
明治元年(1868)建碑の句碑。自然石に「行先の こゝろ強さよ 時雨笠」(※12)との句が刻まれている。
※12 句の文字は目視で読みとれないものもあったので、越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)「観照院句碑」103頁と照らし合わせた。
無縁塚
無縁塚。無縁塚の中に、かつて七左衛門通り沿いにあった、江戸後期・嘉永7年(1854)造塔の風化しかけた「金杉霊神・大弁才天」文字塔がひっそりと置かれている。
「金杉霊神・大弁才天」文字塔
「金杉霊神・大弁才天」文字塔については、下記の記事で紹介している。
越谷市の西端に位置する新川町。以前は越巻村と呼ばれた。町の中央を蒲生岩槻線(埼玉県道324号)に沿って新川(古綾瀬川)が流れている。新川沿いの路傍には、古くから「どうりゅう様」と呼ばれ、災難よけの神様として親しまれている碑石や馬頭観音供養塔などの石仏が点在している。
観照院|風景写真
撮影年月日…2023年5月3日
場所
観照院の住所は、埼玉県越谷市七左町7-278( 地図 )。郵便番号は 343-0851。場所は出羽公園多目的広場(野球場)の北東200メートル。七左衛門通り沿い。駐車場は参道を40メートルほど進んで右に折れたところにある。
参考文献
本記事を作成するにあたっては、石仏や石塔の金石文や年代などを確認するさいに、関係書籍や調査報告書とも照らし合わせた。参考にした文献を以下に記す。
加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)