供養塔
念仏供養塔|承応3年
参道の左側、斜めに立っている松の木の横にある板碑型の石塔は念仏供養塔。江戸前期・承応3年(1654)造塔。最頂部に阿弥陀三尊を表わす三種類の梵字が刻まれている。左からサク(勢至菩薩)・キリーク(阿弥陀如来)・サ(観世音菩薩)。中央の主銘は「念佛供養」
脇銘は「承応三年」「甲」「午」「正月十五日」。下部に「本願」の銘と、31人の名前が刻まれている。
松の根元
次に、参道右手、松の根元にある二基の石塔を調べた。
念仏供養塔|宝暦6年
向かって左側の石塔は、江戸中期・宝暦6年(1756)造塔の念仏供養塔。石塔型式は駒型。正面の最頂部に阿弥陀三尊を表わす三種類の梵字が刻まれている。中央「キリーク」(阿弥陀如来)・左「サク」(勢至菩薩)・右「サ」(観世音菩薩)
主銘は「念佛供養」。脇銘は「宝暦六丙子年」「十二月朔日」。石塔の下部には「願主」「世話人」「大間の」「越ヶ谷」「當村中」の銘と、49人の名前が刻まれている。49人のうち31人が女性の名前。よし・とめ・とわ・つや・くめ・まつ・はる・かめ……など。
六十六部供養塔
向かって右側の石塔は六十六部供養塔。江戸中期・宝暦4年(1754)造塔。六十六部供養塔とは、全国66か国の寺院を巡礼して法華経(大乗妙典)を奉納した記念に建てた石塔のこと。六十六部廻国塔とも呼ばれる。
正面の主銘は「奉納大乗妙典六拾六部供養塔」。脇銘は「天下泰平」「国土安全」「當村行者」「鈴木忠衞門」
右側面
右側面の銘は「宝暦四甲戌十一月吉日」
左側面
左側面には「年宿」(としやど)と題して、「上総国□宮原村 渡□六郎左門」「伊勢国渡会郡神野原 堀江治右門」「讃岐国三野郡下勝間村 石塔与助」「豊後国松井在小野津留村 牧野新右門」の銘が刻まれている。
巡礼や修行僧に一般庶民が無料で提供する宿のこと。旅をする行者への宿の提供は、托鉢と同じく、この世で善根を積む行為と考えられた。
左側面は風化が進んでいて、目視で確認できない文字も多かったので、「出羽地区の石仏」(※10)と照らし合わせた。
※10 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)「観照院」(六十六部廻国塔)54頁
石塔群
続いて、山門手前、参道の右手にある石塔群を調べた。