越谷市七左町の観照院にある庚申塔や馬頭観音塔など石仏と石塔を調査した。当日の様子を写真とともに紹介する。場所は出羽公園多目的広場(野球場)の北東200メートル。七左衛門通り沿いにある。
観照院
調査したのは 2023年5月4日。まずは観照院について簡単に触れておく。
観照院は、現在の出羽地区を開墾した会田七左衛門政重(あいだしちざえもんまさしげ)が、新田開発工事の安全を祈願して建てた寺院。
宗派は真言宗豊山派。山号は日映山(にちえいざん)。観照院の「観照」は、会田七左衛門政重の法名「日映観照」(にちえいかんしょう)から付けられた院号で、山号の「日映山」も「日映観照」から付けられた。
本堂
江戸後期・幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』に「観照院 新義真言宗、末田村金剛院末、日英山と号す、[中略]開基は当村を開墾せし会田七左衛門にて、其法名日映観照と云を以て、山号・寺号とす。本尊は阿弥陀を安ず」(※1)とある。
※1 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「七左衛門村」153頁
越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏は「本尊は新編武蔵風土記稿によると阿弥陀であるが、本来の本尊は、お前立ちとして祀られていた不動明王の胎内仏」(※2)と述べている。
※2 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)「観照院」50頁
石仏と石塔
観照院では、参道にある28基の石仏・石塔と、六地蔵を調査した。
標識・石仏
まずは参道入口から。左手に二基、右手に一基、石塔がある。
標識塔
左側の細長い円柱型の石塔は標識塔。江戸後期・天保2年(1831)造塔。正面の最頂部に横書きで「二十一番」と刻まれている。主銘は「新四国八拾八ヶ所」。脇銘は「天保二辛卯年」「十一月吉日」。
観照院は、新四国八拾八ヶ所霊場(武蔵国八十八ヶ所霊場)の二十一番札所であった。
武蔵国八十八ヶ所霊場とは、旧武蔵国足立郡域の南部・中部(足立区・草加市・川口市・さいたま市・越谷市)及び南埼玉郡(さいたま市岩槻区)にある弘法大師像を祀った寺院88箇所の総称。
梵字・カーン
主銘「新四国八拾八ヶ所」の上に梵字「カーン」が刻まれている。「カーン」は不動明王を現わす種子(しゅじ=梵字)
この梵字について、越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏は「この梵字『カーン』は、不動明王という意味で、会田七左衛門政重の念持仏とされる不動明王像をさす」(※3)と、述べている。
※3 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)「観照院」(『新四国八十八箇所第二十一番』標識石塔)51頁
道標付き不動明王像
標識塔の隣にある石塔は、江戸末期・文久4年(1864)造塔の道標付き不動明王像。石塔型式は兜巾型(ときんがた)。正面の上部に不動明王像が浮き彫りされている。主銘は「成田山」。側面の脇銘は「文久四□次甲子正月」
道標
側面に「向 こしかや 廿丁 よし川 二り」「此方 向 左 はとかや 二里 大もん 一り半 いわつき 三里」などの文字(道しるべ)が見える。
台石
台石の正面には「奉納」「上根郷」(かみねごう)「講中」、左側面には「埼玉郡七左衛門村」などの銘が刻まれている。上根郷は旧・七左衛門村の小名(こな)
青面金剛像庚申塔
参道入口の右手にあるのは、江戸中期・宝暦14年(1764)造塔の青面金剛像庚申塔。石塔型式は駒型。正面最頂部には、青面金剛を表わす梵字「ウーン」。その下に「日月」「青面金剛像」「二鶏」「二邪鬼」「三猿」が、浮き彫りされている。左側面の脇銘は「宝暦十四甲申歳四月吉日」
青面金剛
青面金剛は一面六臂(いちめんろっぴ=顔がひとつで腕が六本)。持物は、左上手に三叉鉾(さんさぼこ)、左手に羂索(けんさく)、左下手に弓。右上手に宝珠、右手に宝剣、右下手に矢。
顔は忿怒相(ふんぬそう)。頭にドクロを戴いている。背後に火焔(かえん)。腕と足首にはヘビがからみついている。
邪鬼・鶏・猿
青面金剛は、左足と右足で、二匹の邪鬼を踏んでいる。二匹の邪鬼は背中合わせで、うずくまっている。足元には二鶏(めんどりとおんどり)。めんどりのおなかの下には三羽のヒヨコが描かれている。石塔の最下部には三猿が陽刻されている。
台石
台石の正面には、青面金剛に従う四夜叉(よんやしゃ)が陽刻されている。中央の銘は「七左右門邑」。左側面には「講中」の銘と、男性15人の名前、右側面には、女性20人の名前が見える。