改刻塞神塔
「青面金剛」文字塔・「庚申」文字塔などの主銘をすべて削り取り、新たに「塞神」と改刻した「改刻塞神塔」文字塔を四基紹介する。
改刻塞神塔|後方自治会館南路傍
後方(うしろかた)自治会館南の路傍(越谷市大成町1丁目)にある改刻塞神塔。石塔型式は駒型。江戸中期・延享2年(1745)造立。正面は全面が削り取られて「塞神」と改刻されている。
下部には当然三猿があったはずであろうが、徹底的な改刻によって、現在はその痕跡すら確認することができない。台石には「施主」の文字と七人の名前が刻まれている。
正面が真っ平らに削り取られている
左側面の脇銘は「奉供養庚申講中家内安全如意満足祈攸」。「祈攸」は「いのりどころ」と読む。「攸」は文章の末尾にみられる語で、「所」という字の代わりに使われる。
右側面には「延享二乙丑年 極月大吉日」とある。石碑を横から見ると正面が真っ平らに削り取られていることが確認できる。あきらかに不自然な形状である。改刻される前は、上部に「日月」、中央に「青面金剛像」が陽刻されていたと思われる。
改刻塞神塔|見田方八坂神社
見田方の八坂神社(越谷市大成町1-71)境内にある改刻塞神塔。正面の「日月」の下に陽刻されていた青面金剛像または「青面金剛」「庚申塔」などの文字が削り取られて「塞神」に改刻されている。石塔型式は兜巾(ときん)型。江戸後期・文化8年(1811)造立。台石の正面には陽刻された「三猿」が見える。左側面の脇銘は「文化八辛未年十一月吉日」。右側面には「講中」の文字と講員35人の名前が刻まれている。
猿田彦太神庚申塔と改刻塞神塔
改刻塞神塔と並んで猿田彦太神大神(さるたひこのおおかみ)庚申塔がある(写真左)。石塔の型式は兜巾型。江戸末期・文久3年(1863)造立。正面の中央に「猿田彦太神」の文字、上に「日月」、台石に「三猿が」浮き彫りされている。左側面の脇銘は「文久三癸亥年七月吉祥日」、右側面には「奉拝禮于庚申三ケ年供養塔」と刻まれている。
猿田彦大神は江戸末期に神道派の庚申と習合し、神道系の庚申塔に多く見られる。『川柳地区の石仏』加藤幸一(平成19年度調査/平成30年12月改訂)上谷(旧・東方村山谷)の石仏の項に「忍藩内の庚申塔に対しては表面を削るなどして『塞神』と改刻する政策を強行した。ただし猿田彦大神の神道系庚申塔はその対象からは外された。こうして仏教系庚申塔から神道系庚申塔への改竄(かいざん)による強硬変更が実施されたのである」とある。
この二基の石仏は、明治初年、忍藩における神仏分離政策の実態(神道系の庚申塔には手を加えない、それ以外の庚申塔は改ざんする)を今に伝える貴重な史料といえる。
道標付き改刻塞神塔|大成町6丁目路傍
越谷市大成町6丁目の路傍・角地にある道標付き改刻塞神塔。石塔型式は駒型。江戸後期・享和3年(1803)造立(※4)。正面に「塞神」と刻まれている。頭頂部に「日月」が陽刻されているので、元は庚申塔だったが、「日月」から下の部分が削り取られて「塞神」の文字に改刻されたと思われる。「日月」以下の部分には「青面金剛像」が浮彫されていたか、「青面金剛」「庚申塔」などの文字が刻まれていたと思われる。
※4 造立年代は確認できなかったので『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)塞神(p.183)に従った。
右 野道 左 吉川町
道標(どうひょう・道しるべ)にもなっていて、左側面に「右 野道 世話人」、右側面に「左 吉川町」とある。この道は、新道(県道越谷流山線・越谷吉川線)ができる前の古道である。
道標付き改刻塞神塔|見田方大六天堂
見田方大六天堂(みたかただいろくてんどう)境内にある道標付き改刻塞神塔。住所は越谷市大成町7-177。石塔型式は駒型。江戸後期・天明2年(1782)造立。正面の主銘は「塞神」。上部の「日月」と下部の「三猿」の箇所は削り取られた形跡が見える。元は庚申塔であった。「塞神」と改刻される前は「庚申」と刻まれていたと思われる。正面の脇銘は「天明二寅」「四月吉日」
左のら道 右こしがや道
道標にもなっていて、左側面に「左のら道」、右側面に「右こしがや道」とある。元は大六天堂の反対側の道に置かれていたようだ。『越谷ふるさと散歩・上』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)南百(なんど)と四条(しじょう)の項(103頁)に「地元では大六天宮と呼ばれている境内に、天明2年(1782)の庚申塔を改刻した塞神塔が置かれている。その右面には『左のら道』、左面には『右こしがや道』と道しるべが付されているが、それから推すと、この塞神塔は、反対側の路傍に立てられていたものに違いない」とある。
その他の塞神塔
そのほか、越谷市東町にある千疋伊南理神社(せんびきいなりじんじゃ)や日枝神社(ひえじんじゃ)にも明治3年(1870)造立の塞神塔が現存している(上の写真は千疋伊南理神社境内の塞神塔)。現地で調査したかぎりでは、庚申塔を改刻したものとは断定できなかったので(日枝神社の塞神塔は正面が平らに削られたようにも見受けられたが)、現時点では、改刻塞神塔ではなく、本来の塞神塔(外から襲ってくる疫病神や悪霊を防ぐための神)としておく。あらためて再調査をして検証したい。
謝辞
本記事をまとめるにあたって、越谷市郷土研究会顧問・加藤幸一氏から助言および細部にわたって校閲をしていただいた。加藤氏には心からお礼申しあげる。