砂利道供養塔
ぎょうだい様の下にある砂利道供養塔も現在は背面しか見ることができない。
背面には、村名や石工の名前が刻まれている。
越ヶ谷領 越ヶ谷町・大間野・神明下・荻島・袋山・岩附領 越巻・谷中・四丁野・西新井・砂原・新方領 小林・花田・大沢町・大房・大林・大里・上間久里・下間久里・弥十郎・川崎・向畑・供養佛 餉寄進・金右衛門新田・松伏・大吉・下赤岩・増林・末田・野島・小曽川・幸手町・粕壁町
石工 金右衛門新田 竹田平八
越谷だけではなく、草加・松伏・春日部・岩槻・幸手など、広範囲の村々から寄進(寄付)があったことがわかる。
現在は砂利道供養塔の正面と側面の銘は見ることができない。ぎょうだい様が覆堂に安置される前に撮影された写真が越谷市デジタルアーカイブで公開されているので、その写真を元に、正面と側面の銘を見ていく。
正面
砂利道供養塔|正面(※9)
正面中央の主銘は「砂利道供羪」(羪は養の異字体)。右上に、印鑑のように「日光道中」と小さく浮き彫りされている。左下「供」の横にも丸い刻印があるが、文字は判読できない。
※9 画像の出典は越谷市デジタルアーカイブ(資料名:砂利道供養塔)。元画像から供養塔の部分だけを切り取った。
側面
砂利道供養塔|側面(※10)
右側面の主銘は「于時寳暦七丁丑歳六月大吉辰」。この銘から江戸中期・宝暦7年(1757)に砂利道供養塔が造塔された、ということがわかる。
両脇には、寄進者の名前と村名などが刻まれている。
上州大泉村(群馬県大泉町)・野州田野村(栃木県益子町)・下総国古河村(茨城県古河市)・江戸芝片門前(東京戸港区の一部)・江戸北八丁堀(東京都中央区の一部)など、遠方からの寄進もあった。
左側面の最頂部には、「寄進村々」と刻まれ、その下に、寄進した村名がびっしりと刻まれている。
※10 画像の出典は越谷市デジタルアーカイブ(資料名:砂利道供養塔)。元画像から供養塔の部分だけを切り取った。
銘について
上記、砂利道供養塔の銘については、写真では、ほとんど判読できないので、越谷市郷土研究会・加藤幸一氏の現地調査報告書「蒲生地区の石仏」(※11)に従った。
※11 加藤幸一「蒲生地区の石仏」平成18年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館所蔵)「砂利道供養塔『ぎょうだい様』」9頁・30頁
ぎょうだいさま今昔
最後に、ぎょうだい様の昔(鞘堂に入る前)と今の写真を結合させた。
白黒写真の出典は越谷市デジタルアーカイブ(※12)。カラー写真は、2023年12月23日に私が撮影したもの。越谷市デジタルアーカイブのおかげで、ぎょうだい様の全体像を知ることができた。
※12 越谷市デジタルアーカイブ
場所
ぎょうだい様の場所は、蒲生茶屋通り藤浪小道具倉庫前の路傍。住所は 越谷市蒲生1-2-10( 地図 )
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2021年5月14日。越谷市郷土研究会・地誌研究倶楽部主催の巡検に参加。東武伊勢崎線・蒲生駅東口を起点に、旧日光街道(日光道中)周辺と綾瀬川左岸沿いを歩きながら石仏や史跡を見学。越谷市蒲生地区の神社仏閣と歴史を巡った。
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「蒲生地区の石仏」平成18年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館所蔵)
『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『越谷市史(一)通史上』越谷市役所(昭和50年3月30日発行)
『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
『越谷市の史蹟と傳説』越谷市教育委員会/越谷市文化財調査委員会(昭和35年4月15日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)