2022年10月19日・水曜日。第517回越谷市郷土研究会史跡めぐり兼越谷リバーウォークガイドツアーに同行。北越谷駅西口を起点に大林の海道西遺跡を見学したあと元荒川右岸沿いの緑道を歩いて砂原までの史跡や石仏を巡った。
越谷リバーウォーク|2022年10月19日
越谷リバーウォークガイドツアーは、越谷市内の川辺の遊歩道・緑道を散策して「水郷こしがや」の魅力を探すイベントで全3コース。スタンプラリーも兼ねている。
NPO法人住まい・まちづくりセンター、NPO法人越谷市郷土研究会、越谷市住まい・まちづくり協議会が主催。
主な見学先
今回のガイドツアーは市内北部を巡る越谷リバーウォークAコースの後半。主な見学先は◇北越谷稲荷神社◇出津橋◇河畔砂丘◇元荒川緑道◇押立堤(おったてつつみ)と石仏◇東福寺跡◇海道西遺跡◇越谷梅林公園◇砂原久伊豆神社◇角堂坊跡◇砂原堤防の石塔群――など。
2022年5月に越谷市大林で発見された平安期の竪穴式住居・海道西遺跡(かいどうにしいせき)の現地説明会。海道西遺跡は住宅になってしまうので、遺跡跡を見学できるのは、これが最後になる。
集合・受付
集合場所は東武伊勢崎線・北越谷駅西口。集合時間は午前8時20分。受付担当者に参加費300円を払って資料をいただく。
尾川氏と森田氏
越谷市郷土研究会の石仏パトロールでお世話になった尾川氏と森田氏も今回は参加。お二人とも驚くほど健脚なので、置いていかれないようにしないと。
ガイドあいさつ
参加人数は16人。出発前に案内役をつとめる越谷市郷土研究会・副会長の秦野氏からあいさつと今回のツアーの見どころなどが説明された。
若色氏あいさつ
今回のツアーに同行する、越谷住まい・まちづくり協議会の若色(わかいろ)会長から、越谷リバーウォークの趣旨やスタンプラリーについて話があった。
スタンプラリーのアプリを活用していただき、水郷こしがやの豊かな自然を知っていただければと思います。まるこポイントも貯まりますので、ぜひ 3コース30ポイント獲得にチャレンジしてみてください。
出発
午前8時35分。越谷リバーウォークガイドツアー出発。
移動|北越谷停車場線
北越谷駅西口ロータリーから延びている北越谷停車場線(県道405号線)を直進。
浄光寺
浄光寺の山門前に到着。真言宗の寺院で、開山の年代は不詳ながら、平安初期・大同2年(807)の創立を伝える薬師堂を受け継いだ古刹。かつて古梅園で名をはせ、明治末から戦後にかけて梅の名所として知られた。
信号を右に折れて市道をまっすぐ歩く。
北越谷稲荷神社
旧大房村の鎮守・北越谷稲荷神社に到着(越谷市北越谷1-15-13)。創建は江戸中期・寛保3年(1743)と伝えられている。(※1)
※1 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)1120頁に「当社(北越谷稲荷神社)の創建について[……]「寛保三亥年(一七四三)十二月創立」との記録がある」「昔、寛保三年十二月と書いた棟札があった」とある。
石仏
石鳥居をくぐった右手の塀ぎわには、庚申塔や猿田彦大神塔など六基の石仏が並んでいる。
青面金剛像庚申塔
向かって左から四番目の石塔は青面金剛像が浮き彫りされている庚申塔。江戸中期・元禄6年(1693)造立。顔が三つある青面金剛像庚申塔は珍しい。
二十一仏板碑
左端にあるのは江戸中期・元禄元年(1558)在銘の二十一仏板碑(※2)。もともとは元荒川の河川敷にあったが、保存のためにここに移された。
※2 二十一仏板碑(にじゅういちぶついたび)とは、一文字で一仏をあらわす種子(しゅじ)と呼ばれる梵字(ぼんじ)が21刻まれている板碑(石造りの卒塔婆=そとば)のこと。板のように薄いことから板碑(いたび・いたひ)と呼ばれている。生前に死後の冥福を願って立てられた。
二十一仏板碑|側面
真横から見ると板のように薄くなっているのがよくわかる。
板碑は全国で45基しか見つかっていない貴重な史料ですが、越谷市では9基の板碑が見つかっています。
北越谷河畔砂丘
神社の境内をよく見ると砂地になっている。元荒川が蛇行している左岸側のこのあたり一帯は、「河畔砂丘」(かはんさきゅう)といって、砂丘になっている。神社は河畔砂丘の上に鎮座している。
案内役の越谷市郷土研究会・副会長の秦野氏が、越谷の河畔砂丘について解説してくれた。
越谷市には、元荒川の流路や流路跡沿いに五つの河畔砂丘があります。①袋山河畔砂丘②大林河畔砂丘③北越谷河畔砂丘④東越谷河畔砂丘⑤大相模河畔砂丘。ここは北越谷河畔砂丘になります。
埼玉県内では 23箇所の河畔砂丘が確認されている。
出津橋
出津橋に到着。歩行者専用の橋で、対岸には文教大学が見える。昭和41年(1966)5月、文教大学の開校にあわせて架橋された。北越谷駅から歩いて通う文教大学の学生は全員がこの出津橋を渡る。
文教大生のための橋
時間は午前9時。文教大学の学生さんたちが次々に出津橋を渡っていく。出津橋は文教大生のために架橋された橋、ということを象徴するような風景だ。
移動|元荒川緑道
元荒川緑道を上流に向かって歩く。土手沿いに桜並木が続いている。北越谷元荒川堤は越谷の花見スポットとしても有名。「この土手道は奥州古道であったと推定される」という話が、案内役の秦野氏からあった。
棚裏
出津橋から400メートルほど上流に向かって歩くと、元荒川が、東に凸(とつ)状に曲流している地点がある。
「元荒川が東に凸状に曲流している左岸側の河原(現・北越谷五丁目)を地元では『棚裏』(たなうら)と呼んでいた」という話を秦野氏がしてくれた。
棚裏とは、「棚の家」(たなのうち)という屋号の家の「裏」という意味です。ここに「棚の内」という屋号の家がありました。2022年の聞き取り調査で「棚裏」の名前の由来が判明しました。
三基の石塔
棚裏からほどなくすると正面右手、土手のたもと(旧日光街道沿い)に三基の石塔が見えてきた。