2023年4月、越谷市の市民団体「旧日光街道・越ヶ谷宿を考える会」から、越谷とゆかりのある徳川家康の功績などを紹介した「徳川家康新聞」が発行されました(全20号)。各号の概要をお伝えします(無料配布は2024年1月をもって終了)
徳川家康新聞
徳川家康と越谷との関係はあまり知られていません。
「家康は越谷が大好きだったんですよ」と言うと、「またまた~、大河ドラマ『どうする家康』に便乗してるんじゃないの?」なんて返事が返ってきそうです。
便乗ではありません。家康は越谷の礎をつくってくれたのです。
そんな「家康と越谷との関係」を、大河ドラマ「どうする越谷」が放映されているこの機に、越谷市民だけではなく、世間一般にも広く知ってもらおうと、発行されたのが「徳川家康新聞」です。
編集責任者
「越谷家康新聞」の編集責任者は、発行元「旧日光街道・越ヶ谷宿を考える会」の宮川進さん。宮川さんは御年84歳。郷土史研究家でもある宮川さんは越谷の生き字引的存在。お話会などでは語り部として越谷の歴史を伝えています(※1)
※1 上の写真は、2023年3月3日、こうじや音楽館(越谷市越谷本町)で行なわれたお話会「私たちの越谷と家康」の話し手を務めた宮川さん。
家康と越谷は切っても切れない縁で結ばれています。今の越谷があるのは家康のおかげなんです。そのことを「徳川家康新聞」を通じて知っていただきたいと思います。
創刊号|2023年4月29日発行
創刊号は、2023年4月29日に発行されました。「徳川家康が越谷にくれたプレゼント」と題し、四つのテーマについて紹介されています。
- ふたつの川の流れを変えてくれた。
- 日光街道を通し、宿場を置いてくれた。
- 鷹狩に何回も来て、御殿も置いてくれた。
- ご朱印状を七つの寺院に発行してくれた。
読みどころ
創刊号の読みどころは「越ヶ谷宿」のお話。
家康が越谷にくれた四つのプレゼントの中でも、なんといっても、大きなプレゼントは、越谷に「宿場」(しゅくば)を置いてくれたこと。日光街道をつくった家康が、越谷に宿場(越ヶ谷宿)を置いてくれたことで、旅籠ができ、商業が盛んとなって、このことが、今の越谷の基礎となりました。
家康は「越谷の生みの親」といっても過言ではありません。
第2号|2023年5月10日発行
2023年5月10日に発行された第2号について、編集責任者の宮川さんは次のように述べています。
テレビドラマ(どうする家康)が終わるまでに、ぜひ、越谷市民の方々に越谷と家康の関係について知っていただきたいと、どんな媒体でも使えるものは使わせていただこう。
それこそが、今年、「家康」のテレビドラマが与えてくれたチャンスではないか。それを生かさないでおくものか、という気持ちで取り組んだのが、地元FMラジオ局(こしがやエフエム)さんでの家康話です(※2)
※2 こしがやエフエム「オカリナ吹きの日本再発見」(木曜日・19時~19時30分)の新コーナー「リスペクト家康」(毎月最終木曜日)で、宮川さんが、知られざる家康の話を語ってくれます。「リスペクト家康」は、2023年5月から開始。
読みどころ
第2号の読みどころは「越ヶ谷御殿」のお話。
かいつまんで説明しますと、
越谷に徳川家康が造った御殿があったことは、越谷市民どころか、まったくといっていいほど、知られていません。
鷹狩が大好きだった家康は、お気に入りの越谷に、鷹狩のときに泊まる御殿(宿泊施設)を造っちゃいました。ま、いってみれば別荘ですね。
江戸に幕府を開いた10年後、慶長18年(1613)の11月には、鷹狩で越谷を訪れた家康は、越ヶ谷御殿に七日間滞在し、19羽の鶴を捕らえてご満悦だった、との記録も残っています。
なお越ヶ谷御殿は今はありません。越谷市御殿町に、越ヶ谷御殿があったことを示す「越ヶ谷御殿跡碑」(上の写真)が建てられています。
第3号|2023年5月15日発行
(訂正)上記写真の第3号の発行日が「令和5年5月20日」になっていますが、正しくは「令和5年5月15日」です。
2023年5月15日に発行された第3号では、「山岡荘八著『徳川家康』で、越谷は・・・」と題し、山岡荘八著『徳川家康』(※3)に登場する家康と越谷を描いた場面などが紹介されています。
※3 『徳川家康』は、歴史小説を中心に活躍した作家・山岡荘八(やまおかそうはち)が、17年の歳月を費やして完成させた長編歴史小説。
読みどころ
小説の文章を引用することはできませんが、『徳川家康』(26巻)の中から、「家康と秀忠父子が、そろって岩槻・越谷・鴻巣へ鷹狩に出向き、秀忠は江戸に帰ったが、家康は、また越谷におもむいた」くだりなどが、第3号の読みどころとなっています。
上の写真は、越谷市野島・浄山寺にある鷹狩の装束に身を包んだ徳川家康公像。
歴史研究家の発言ではなく、小説家、しかも『徳川家康』という大長編小説の著者の山岡荘八さんが、越谷に触れておられるところをご紹介しました。
「小説」であって、「事実」ではないのですが、「小説」が「事実」を超えて真に迫ることもあるという意味で、採りあげさせていいただきました。
第4号|2023年5月20日発行
(訂正)上記写真の第4号の発行日が「令和5年5月15日」になっていますが、正しくは「令和5年5月20日」です。
2023年5月20日に発行された第4号では、「家康のイメージを清く正しく美しく」と題し、「ぎょろ目のおじさん」「たぬきおやじ」のイメージが定着している家康像はホントの姿なのか、ということに触れています。
越谷で徳川の歴史を巡る
誌面の後半では、「越谷で徳川の歴史を巡る」と題し、越谷で家康とゆかりのある寺社や史跡などが紹介されています。
- 大相模不動尊大聖寺(相模町)
- 林泉寺(増林)
- 久伊豆神社(越ヶ谷)
- 越ヶ谷御殿跡(御殿町)
上の写真は、増林・林泉寺の「駒止めの槙」(こまどめのまき)。家康が休憩で立ち寄ったさいに、馬の手綱を結んだと伝えられているマキの木です。林泉寺には、家康が口をすすいで、手を洗ったといわれる「権現井戸」(ごんげんいど)の跡も残っています。
第5号|2023年5月29日発行
2023年5月29日に発行された「徳川家康新聞」第5号では、「家康を生んだ徳川氏は、群馬県から!?」と題し、家康の家系についての解説と、家康の先祖は「乞食坊主だった」という説などが紹介されています。新田氏から家康に至るまでの徳川氏の家系図は必見。