境内

本社・境内社

本社・境内社

中央の大きな社(やしろ)は本社(稲荷社)。この地(高畑)は農村として開かれた村なので、豊作をもたらす神として信仰されてきた。向かって左側は三峯社。向かって右側は八坂社。

今昔写真

高畑稲荷神社の今昔

上段の白黒写真(※8)は、47年前、昭和54年(1979年)11月に撮影された、高畑稲荷神社。下段のカラー写真は、同位置から撮影した現在の高畑稲荷神社(2026年6月14日撮影)

※8 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 大沢高畑稲荷社と鳥居

昭和55年の高畑稲荷神社

(※9)高畑稲荷神社(昭和54年/1979年)

昭和55年(1980)に発行された『越谷ふるさと散歩(下)』に、高畑稲荷神社についての描写がある。以下、引用・抜粋。

鳥居は朱塗りの大きな木造である。鳥居をくぐった右手の平屋は高畑の農民センターである。正面は瓦葺格子戸の古びた神殿で、境内にはブランコやすべり台が設けられ子どもの遊び場に利用されている。

写真に写っている女の子たちは今、55歳前後と思われる。

※9 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 大沢高畑稲荷社と鳥居

※10 越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)「鷺後用水沿いの神社」106頁

途絶えた行事

かつて高畑稲荷神社で行なわれていた三つの行事、①お九日②虫追い③念仏講……を紹介する。

お九日

高畑稲荷神社の拝殿

10月8日から9日にかけて、地元の子どもたちが拝殿にこもって一泊する「お九日」(おくんち)と呼ばれる行事があった。
 
日中、子どもたちが、「お灯明銭(おとうみょうせん)おくんなせ!」と、言いながら家々をまわって集めたお金で菓子などを買い、「ドンドン、カカサ」と、お九日の太鼓をたたいた。
 
夜になると、子どもたちが、近所の畑で、柿やサツマイモなどをくすねたりしたので、各家は「お九日の晩だ、気をつけろ」といって警戒したという。
 
高畑のお九日は、昭和25年(1950年)ごろに自然消滅した。

虫追い

(※11)虫追い

毎年、7月25日に、稲の害虫退治を目的とする「虫追い」(むしおい)と呼ばれる行事が行なわれていた。
 
各自が持参した松明(たいまつ)を手に、高畑稲荷神社を出発し、「稲の虫ホーイ」と呼びながら田んぼのあぜ道をめぐった。
 
農薬の普及などにより、高畑地区の虫老いは昭和30年(1955年)ごろに廃された。

※11 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 虫追い(新方地区)

北川崎の虫追い

越谷市の虫追いは、すたれてしまったが、越谷市北川崎の川崎神社で毎年7月24日に行なわれる虫追いは、「北川崎の虫追い」の名で埼玉県の無形民俗文化財に指定され、現在でも続いている。

念仏講

(※12)念仏講(昭和40年代)

姑(しゅうとめ)たちが参加した「念仏講」(ねんぶつこう)と呼ばれる行事もあった。
 
神社敷地内の自治会館に月一回集まり、太鼓と鉦(かね)に合わせて、地蔵念仏を唱えた。新築のさいの「祝い念仏」や通夜の折の「枕念仏」なども念仏講が請け負った。
 
高畑地区の念仏講は昭和63年(1988年)まで続けられていた。

※12 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 念仏講(昭和40年代)

場所

高畑稲荷神社|越谷市東大沢

高畑稲荷神社の住所は埼玉県越谷市東大沢4-17-2。場所は、浦和野田線から逆川(さかさがわ)に架かる新土橋を渡って十字路を越えたすぐ左手( 地図 )。車は敷地内に駐められる。

参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『わたしたちの郷土こしがや(第一集)』越谷市教育委員会(昭和56年8月30日発行)
『ときの風~ふるさと大沢今昔物語』大沢地区コミュニティ推進協議会(2018年4月発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
加藤幸一「大沢町・越ヶ谷町の石仏」平成13年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市郷土研究会・河川史研究倶楽部(2013)「大沢町巡検」資料(https://koshigayahistory.org/423.pdf)(2026年6月15日閲覧)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)