鷹匠橋
40メートルほどで鷹匠橋(たかじょうばし)に着いた。
鷹匠橋から眺めた風景|昔の写真
橋の中央で、下千間堀(新方川)上流側の景色を望む。左手(右岸側)は花田地区。右手(左岸側)は増林地区。ここで、秦野氏が、またまた貴重な写真を見せてくれた。河川改修が行なわれる前の鷹匠橋から上流側を撮った風景。ちょうどこの場所と同じところから撮影したもの。今の流路も当時と変わっていない。宅地造成される前、花田地区一帯が耕地だったころの様子がよく分かる。
移動|花田に戻る
鷹匠橋は渡らずに(増林には入らずに)、来た道に戻って(花田に戻って)、新方川右岸側の道を上流に向かって歩く。
花田第一樋門ポンプゲート
花田第一樋門に到着。鷹匠橋と城之上橋(しろのうえばし)のほぼ中間地点にあたる。花田第一樋門にはポンプ場が併設されているので、新方川(本流)が増水して樋門のゲートを閉じでも、ポンプで強制的に支流(新方川第30-1号雨水幹線)の雨水を新方川に放流できるので、先ほど案内役の秦野氏から解説があった内水氾濫(ないすいはんらん)を防ぐことができる。
新方川第30-1号雨水幹線|暗渠
花田第一樋門の前から南西に続いているのは、暗渠(あんきょ)になっている新方川第30-1号雨水幹線。暗渠の前方右手に花田苑の森がちらっと見える(上の写真の黄色い▼印)。暗渠と道路を境に左が花田七丁目、右が花田七丁目。道は不動橋通りを越えて、1キロメートルほど先で産業道路にぶつかる。
昔の写真|道路新設中の写真
ここで秦野氏が、道路新設中の写真を見せてくれた。現在の花田第一樋門から暗渠側を望んで撮影したもの。写真の中央にお屋敷の屋根が見えるが(上の写真の黄色い▼印)、秦野氏によると「現在もそのままの姿でお屋敷がある」とのこと。花田苑の開園は平成3年10月1日なので、上の写真にはまだ花田苑は映っていない。写真の右端にあたるところが現在の花田苑。ちなみに上の写真の左手は、今はすべて住宅地になっている。
花田第一樋門をあとに道を進む。
城之上橋|旧・市道橋
城之上橋(しろのうえばし)に到着。花田第一樋門からは約150メートル。城之上橋は、かつては市道橋(いちみちばし)と呼ばれた。昭和5年(1930)に、土橋だった市道橋がコンクリート橋に架け替えられ、橋の名前が城之上橋に替わった。
増林に入る
城之上橋(しろのうえばし)を渡って右へ。増林に入る。下千間堀(新方川)左岸の土手道(遊歩道)を歩いて越谷総合公園に向かう。
移動|増林
下千間堀(新方川)左岸の遊歩道(土手道)を下流に向かって進む。前方に、新方川水管橋と東橋(あずまばし)、それを超えた左手に越谷市立総合体育館、リユース(東埼玉資源環境組合・第一工場ごみ処理施設)の展望台が見える。
田園風景
下千間堀(新方川)左岸には増林の田園風景が広がっている。前方右手に越谷市立増林小学校が見える。この一帯は昔から変わらぬ田園地帯たが、いつの日か宅地化されて、景色が一変してしまうのだろうか。
住宅風景
右岸も増林だが、こちらは田畑がわずかに残っているものの宅地化が進んでいる。正面に見える三角屋根の塔は、越谷保育専門学校・附属幼稚園。斜め後ろに越谷市立城ノ上(しろのうえ)小学校が見える。
東橋
東橋(あずまばし)を横断。
越谷市立総合体育館|トイレ休憩移動
10時35分。越谷市立総合体育館に到着(越谷市増林2-33)。10分間のトイレ休憩。本日の行程のほぼ半分が終了。
千代田橋|旧・二子曽根橋
休憩を終え、越谷市立総合体育館をあとに、千代田橋(ちよだはし)を渡る。千代田橋は、江戸時代は二子曽根橋(ふたごぞねはし)と呼ばれていた。
千代田橋を渡って左へ。新方川右岸側に出る。
鞘堂|土手下
千代田橋から新方川右岸側の遊歩道を30メートルほど歩くと、土手の右下に、小さな鞘堂(さやどう)が見える。中に三基の石塔が置かれている。木立に囲まれているので、注意しないと、見過ごしてしまいそうな場所だ。(上の写真の黄色い▼印)
三基の石塔
並べられている石塔は、向かって左から江戸後期・天保13年(1842)の「馬頭観世音」文字塔、主尊不明の石塔(※4)、江戸後期・文化3年(1806)の道標付き「水神宮」文字塔。
※4 真ん中の石塔は、主尊不明というよりも後ろ向きに置かれているように見える。
道標付き「水神宮」文字塔
「水神宮」と刻まれたこの石塔は道しるべを兼ねている。正面に「向ふどふミち」、「橋向左ばゝわたし道」、右側面に「松ぶし道」とある。
「向ふどふミち」(向こう、不動道)とは、橋(二子曽根橋=現・千代田橋)を渡らずに、道を南に向かうと大相模不動尊(大聖寺)に通じる、という意味。「橋向左ばゝわたし道」(橋向こう左、ばば渡し道)とは、橋の向こうの二股道(※5a)を左に行くと、古利根川にある「ばば渡し場」(※5b)に通じるの意。「松ぶし道」は、松伏に向かう道のこと。
※5a 当時は橋を渡ると道が二股に分かれていた。今はない。
※5b かつて、増林村と対岸の上赤岩村を結ぶ古利根川にあった渡し場。現在の越谷市斎場のあたり。
移動|増森橋へ
新方川右岸の遊歩道を上流(増森橋)に向かって進む。
こしがや田んぼアート会場
右手に「こしがや田んぼアート会場」があった。今年(2021年)の「こしがや田んぼアート」に描かれているのは、越谷アルファーズとバスケットボール漫画スイッチのマッチアップ。田んぼアートは、対岸にあるリユーズの展望台から眺めるので、ここからは何が描かれているのかは分からない。手前の「こしがや」と「2021」という文字だけはなんとか読める。
増森橋
増森橋(ましもりばし)に到着。千代田橋からは約400メートル。土橋だった増森橋は、昭和4年(1929)3月にコンクリート橋に架け替えられた。
増森橋を渡る。
移動|新田橋方面へ
増森橋を渡って右へ。新方川左岸側の道を上流(新田橋方面)に向かって進む。
たわわに実った桃|農家
途中、淡い赤色の桃をたわわに実らせた桃の木がある家の前を通った。桃を栽培している農家らしい。ちょうど桃の手入れをしていたご主人に話を聞いた。
「昔は、このあたりで桃を作っている家はたくさんあったんだけど、今はウチを含めて数軒ほどだな」。この桃は出荷もしているとのこと。かつて桃は越谷を代表する産物だった。江戸でも越谷の桃はもてはやされたという。
このモモは甘くてウメェんだよ
「このモモは甘くてウメェんだよ。食ってみっか」。食ってみたかったけど、先を急ぐので、ご主人に話を聞かせていただいたお礼を述べて、次の訪問先へ向かった。