荻島仲良し通り史跡めぐり
明王院跡|中組集会所
現在、堂舎は、中組集会所になっている。西側は墓地(南荻島中組墓地)。このあたりは、旧荻島村の「中組」(なかぐみ)と呼ばれた小字(こあざ)であった。現在でも地元では「中組」と呼んでいる。
五基の庚申塔
墓地の前には、四基の青面金剛像庚申塔と、「南鳩ヶ谷道」「北岩槻道」と道しるべが付された猿田彦大神文字庚申塔が、並べられている。
新旧写真
明王院跡今昔
明王院跡の昔と今の写真を上下に二枚並べた(上の写真)
上段の白黒写真は、今から50年前、昭和50年代に撮影されたと思われる明王院跡。出典は越谷市デジタルアーカイブ(※8)
下段の写真は今回、ボクが撮影した同じ場所からの風景。墓地の樹木は伐採され、ずいぶんすっきりした感じになっている。五基の庚申塔の位置は変わっていない。
※8 白黒写真の出典…越谷市デジタルアーカイブ「南荻島・明王院跡墓地」
明王院跡(中組集会所)については別記事で詳しく解説している。
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越谷市南荻島・中組集会所(明王院跡地)にある五基の庚申塔を調べた。場所は荻島小学校の南南西150メートル、末田大用水脇にある。
移動
荻島仲良し通りに戻ってT字路を左折。道なりに進む。200メートルほど歩くと、左手前方に、荻島小学校の体育館が見えてきた。
終点|荻島小学校
12時20分。終着点の荻島小学校に到着。
越谷市立荻島小学校の創立は明治6年(1873)。今年(2025年)で創立152年を迎えた。荻島地区唯一の小学校でもある。
横断歩道と越谷岩槻線
荻島小学校の先にある横断歩道(荻島小歩道橋)の下を通っているのは越谷岩槻線(埼玉県道48号)。左に行くと、砂原・野島・岩槻方面。右に行くと草加バイパス(国道4号)に出る。
所用時間1時間半。大石橋から荻島小学校まで、行程 1.2キロメートルにわたる荻島仲良し通りの史跡巡りを終えた。
後記
荻島仲良し通りの周辺は、かつては、道の左右には水田が広がり、農家が散在する静かな農村地帯だったが、現在は、だいぶ宅地化が進んできた。そのうち景色も一変してしまうだろう。
十数年後、今回の史跡巡りで撮った写真が、貴重な資料になるかもしれない。