2023年5月22日。越谷市小曽川を通る越谷岩槻線沿いにある明和5年(1768)造立の六十六部廻国供養塔を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。場所は、しらこばと水上公園入口の信号から北西250メートル先のT字路角地にある。
廻国塔
廻国塔(かいくこくとう)とは、大乗妙典(だいじょうみょうてん)とも呼ばれる法華経(ほけきしょう)を66部写経し、全国66か国の寺院を巡礼して、1部ずつ奉納した記念に建てられた供養塔のこと。
石塔には「『奉納大乗妙典六拾六部供養塔』あるいは『奉納大乗妙典日本廻国供養塔』などと刻まれており、『天下和順・日月清明・風雨順時』などの脇銘がある」(※1)
※1 越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)「廻国巡礼」150頁
六十六部廻国の巡礼者は「六十六部」または「六部」とも呼ばれた。
六十六部廻国供養塔
それでは、小曽川の六十六部廻国供養塔を見ていこう。
正面
建立は、江戸中期・明和5年(1768)。石塔型式は頭部山状角型。正面の主銘は「六十六部願満塔」、脇銘は「天下和順」「日月清明」
裏面
裏面には「願以此功徳」「普及於一切」「我等与衆生」「皆共成仏道」とある。
左側面
左側面には、和歌と、六十六部廻国巡礼を行なった行者(ぎょうじゃ)の俗名・法名および施主の名前などが刻まれている。行者の俗名は斎藤徳右衛門、法名は植道宗本とある。
和歌は、
おひの身で
廻る日の本
今爰(ここ)に
如我有祈願
まくうれしき
と読める。
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、この和歌の「まくうれしき」は、「まことうれしき」か「ましてうれしき」の誤りではないか、と、指摘している(※2)
※2 加藤幸一「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館蔵)「11.六十六部廻国塔」41頁
右側面
右側面には漢文がびっしり刻まれている。
内容は、
野島村に生まれて小曽川で暮らしている斎藤徳右衛門という人物が、このまま年老いて死んでいくのは悔いが残ると言い残し、六十六部廻国遍歴の旅に出、無事、満願成就して戻ってきたので、徳右衛門の功徳を讃えて、この供養塔を建立する…云々
といったようなことが、野島の浄山寺・住職によって記されている。
漢文の内容については「荻島地区の石仏」(※3)を参照した。
※3 加藤幸一「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館蔵)「11.六十六部廻国塔」41頁
後記
建立から255年たった今でも、この廻国塔は、子孫ならびに地元の人々によって供養されている。残しておきたい越谷の風景のひとつである。
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越谷市の西に位置する小曽川(おそがわ)。北は元荒川、南はしらこばと水上公園。越谷岩槻線が東西を二分するように中央を横断している。畑地が広がるのどかな田園地域だ。小曽川久伊豆神社を起点に小曽川に点在している石仏や庚申塔などの史跡を巡った。
場所
六十六部廻国供養塔がある場所は、しらこばと水上公園の北、越谷岩槻線(埼玉県道48号)沿い丁字路の角地( 地図 )
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館所蔵)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『日本石仏図典』国書刊行会(昭和61年8月25日発行)