越谷市宮本町・迎摂院(こうしょういん)にある木食観正(もくじきかんしょう)の名号塔(通称・観正名号塔)を取材した。南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)と刻まれた独特の書体が目を引く石塔を写真とともに紹介する。

名号塔

名号塔|西教院の徳本名号塔(越谷市西新井)

名号塔(※1)

名号塔(みょうごうとう)とは、阿弥陀如来をたたえる「南無阿弥陀仏」の六字(名号)が刻まれた文字塔のこと。六字名号塔とも呼ばれる。
 
四字の「阿弥陀仏」、九字の「南無不可思議光如来」、十字の「帰命尽十方無光如来」が刻まれた名号塔もあるが、一般的には、名号塔といえば「南無阿弥陀仏」と刻まれた文字塔のことをさすことが多い。

※1 上の写真は越谷市西新井の西教院にある徳本行者(とくほんぎょうじゃ)の名号塔。江戸後期・文化14年(1817)造塔。独特の書体で「南無阿弥陀仏」と刻まれている。

木食観正

石塔に刻まれた「南無大師遍照金剛」の文字

観正名号塔(迎摂院)

木食観正(もくじきかんしょう)は、江戸後期に活躍した行者。弘法大師の再来とうたわれ、民衆から熱狂的な帰依(きえ)を集めた。木食上人(もくじきしょうにん)とも呼ばれる。木食(もくじき)とは、木の実や草などを食べて修行をすること。
 
観正は、江戸や小田原を中心とした近隣各地で布教活動をおこなった。独特の書体で書かれた「南無大師遍照金剛」(※2)と、梵字の「ア・ウン」が刻まれた名号塔は、観正名号塔(かんしょうみょうごうとう)と呼ばれ、各地に造立された。

※2 南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)は、「弘法大師に帰依する」の意。南無は帰依すること。大師遍照金剛は弘法大師・空海のこと。また、遍照金剛は大日如来の別名でもある。

以上を踏まえ、迎摂院の観正名号塔を見ていく。

迎摂院の観正名号塔

迎摂院の観正名号塔

観正名号塔は山門をくぐった右手にある。石塔型式は変形角柱型。江戸後期・文政4年(1821)造塔。
 
構造は、上から
 
・石塔
・蓮華(れんげ)
・蓮華台(スリン台)
・上台
・中台
・柴台
・石垣
 
となっている。

石塔

正面

石塔部分|観正名号塔

正面の中央に、観正の書による独特の書体で「南無大師遍照金剛」と大きく刻まれている。最頂部の左右には梵字の「ア」「ウン」、下部の左右には「木食」「観正」、「観正」の下に「花押」がある。

左側面

左側面|石塔部分

左側面の銘は「文政四辛巳年三月十八日」

右側面

右面|石塔部分

右側面には「當院第二十世法印秀山代」「願主 正随」とある。

蓮華台

蓮華台

蓮華台(れんげだい=スリン台)の正面には「光明真言講中」と彫られている。

台石

台石(上台と中台)には、多くの村名と人名が、びっしりと刻まれている。村名は60(※3)、人名は267(※3)。当寺の迎摂院の隆盛と、観正の影響力がうかがわれる。
 
台石に刻まれている村名を以下に記す。人名は割愛。
 
目視で読みとれない村名も何箇所かあったので、正確を期するために、村名については、加藤幸一「出羽地区の石仏」(※3)と照らし合わせた。

※3 加藤幸一(2003)「平成15年度 出羽地区の石仏 平成28年4月改訂」越谷市立図書館所蔵、37頁・38頁

上台|正面

台石|正面

(1)高畑村(2)四丁野邑(3)神明下邑(4)大沢四丁(5)砂原邑(6)増森村(7)七左ヱ門邑(8)三之宮邑(9)鷺後邑(10)萩[荻ヵ]嶋邑(11)峯邑(12)花田邑(13)越ヶ谷宿(14)水角邑(15)槐戸邑

上台|左側面

台石|左側面

(16)[瓦ヵ]曽根邑(17)大竹邑(18)前谷後谷邑(19)西新井邑(20)藤八新田(21)大河戸邑(22)恩間邑(23)大道邑(24)大森邑(25)大戸邑(26)須賀村(27)釣上邑(28)増林邑(29)登戸邑(30)上間久里(31)大畑邑(32)大枝邑(33)田嶋邑(34)平方邑(35)篠葉邑(36)向畑邑(37)槐戸邑(38)西新井邑(39)花股邑(40)水神邑

上台|右側面

台石|右側面

(41)金右ヱ門新田(42)藤塚邑(43)越巻邑(44)西川邑(45)小曽川(46)草加宿(47)谷中邑(48)大相模邑(49)芝村(50)弥十良邑(51)大間野邑(52)大相模(53)谷塚邑(54)伊原邑(55)大里邑(56)十一軒邑(57)中野邑(58)青柳邑(59)蒲生邑(60)中村

講中・惣世話人中

銘文

そのほか「講中」「惣世話人中」の銘が大きく刻まれている。

中台|正面

中台

中台(台石の下段)の正面には「世話人 本町油屋 伊右衛門」「松伏邑 五右ヱ門」「槐戸邑 八蔵」の銘が確認できる。

石垣

石垣

台石(柴台)の下には石垣が三段、積み重ねられている。よく見ると、石垣・柴台・中台の一部が、補修されているが、この補修は、今年(2023年)の 3月中旬に行われた。

補修工事の様子|2023年3月

観正名号塔の補修工事

補修工事は、中台・柴台・石垣の一部を新しい石と取り替えたほか、二段だった石垣を三段にした。

観正名号塔の補修(1)迎摂院

観正名号塔の補修(2)迎摂院

観正名号塔の補修(3)迎摂院

観正名号塔の補修(4)迎摂院

撮影年月日は2023年3月15日と19日

補修前後の観正名号塔

補修前後観正名号塔

上の写真の上段は、2020年5月31日に撮影した観正名号塔。石垣が左に傾いてしまっている。石垣は二段。
 
下段は、修復後、2023年12月6日に撮影したもの。左に傾いていたのがまっすぐになった。石段は三段に増強された。

関連論考

迎摂院の観正名号塔

迎摂院の観正名号塔については、越谷市郷土研究会・元会長の宮川進氏が、2021年に発表した「迎摂院の木食観正の石碑」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/r03_05_s_miyakawa.pdf

迎摂院の場所

迎摂院|越谷市宮本町

聖徳寺の住所は埼玉県越谷市宮本町2-54( 地図 )。郵便番号は 343-0806。場所は、元荒川に架かる神明橋から越谷流山線(埼玉県道・千葉県道52号)を600メートルほど越谷方面に向かって直進した右手。駐車場は敷地内にある。

参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『日本石仏図典』国書刊行会(昭和61年8月25日発行)