大林の石仏
大林香取神社
旧大林村の鎮守・香取神社に到着(越谷市大林311)
創建の年代はつまびらかではないが、江戸後期・幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』「大林村」の項に、「香取明神社 村の鎮守にて、萬藏寺の持…」(※10)とある。
※10 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「大林村」118頁
石仏・石塔
大林香取神社では、6基の石仏・石塔を調査した。
- 青面金剛像庚申塔
- 青面金剛文字庚申塔
- 文字庚申塔
- 猿田毘古大神文字庚申塔
- 猿田彦大神文字庚申塔
- 天満宮文字塔
参道
鳥居をくぐった参道の左手、生け垣の脇に、三基の石塔が並んでいる。
青面金剛像庚申塔
向かって左端は、青面金剛像庚申塔。江戸中期・享保5年(1720)造塔。石塔型式は駒型。正面中央に「日月」「青面金剛像」「邪鬼」「三猿」「二鶏」が陽刻されている。青面金剛は合掌型。
脇銘は、「奉造立庚申供養尊」「享保五庚子年九月吉祥日」「武蔵野国新方領大林村」
最下部
石塔の最下部には寄進者の名前が10人ほど刻まれているが、半分以上、土の中に沈んでいるので、人名は、ほとんど確認できない。
青面金剛文字庚申塔
真ん中は、文字庚申塔。江戸後期・天明8年(1788)造塔。石塔型式は駒型。主銘は「青面金剛」(しょうめんこんごう)。最頂部に青面金剛を表わす梵字「ウーン」。脇銘は「天下泰平」「国土安全」
「青面金剛」の銘の上に「日月」、下に「三猿」が陽刻されている。
左側面
左側面の脇銘は「天明八戊申三月吉日」
右側面
右側面には「大林村」「講中」とある。
文字庚申塔
右端は、上半分が欠けてしまっている文字庚申塔。正面の主銘は「□申塔」。おそらく「庚申塔」と刻まれていたと思われる。
左側面
左側面は、「月吉日」という文字だけ確認できる。
造立年代は確認できないが、越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、「この庚申塔は破損していて上部がなく、詳細は分からないが、『越谷市金石資料集』の庚申塔二七六番の庚申塔(造立は天保十年)と思われる」(※11)と、述べている。
※11 加藤幸一「大袋地区の石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)104頁
右側面
右側面には「埼玉郡」「大林村講中」「願主 大林寺鉄宗」とある。
続いて、境内に移動。
境内
境内の右手に、二本の大木がある。手前は杉で、奥は神木(しんぼく)の銀杏(いちょう)。木の下に、石塔や力石、記念碑などが並べられている。
猿田彦神
境内社(白山社)の横にある二基の石塔は「猿田彦神」を主尊にした庚申塔。
猿田毘古大神文字庚申塔
向かって左は、主銘に「猿田毘古大神」(さるたひこおおかみ)と刻まれている文字庚申塔。江戸後期・文政11年(1828)造塔。石塔型式は、山状角柱型。
この主銘(猿田毘古大神)について、越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は「この猿田彦庚申塔は、恩間の香取神社に見られる猿田彦庚申塔と同様に、文字『彦』を『毘古』としている珍しい例である」(※12)と、述べている。
※12 加藤幸一「大袋地区の石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)104頁
古事記では「猿田彦」、日本書紀では「猿田毘古」と表記され、日本神話では、天孫降臨のさいに、道案内をした神。
邪霊の侵入を防ぎ、旅人を守護する神として、道の分岐点などに祀られていたが、江戸時代末期に、神道系の庚申信仰とも結びついた。
台石
台石の正面は、「大林邨」「講中」と刻まれ、右側面には、「願主」の銘と、二人の名前が確認できる。
左側面
左側面の脇銘は「文政十一載戊子霜月□日」(載は年と同義)「武蔵野国一宮神主」「岩井伊豫守物部連正興謹書」とある。
神主が銘を書いていることからも、この石塔は、神道系の庚申塔であることがわかる。
右側面
右側面の銘は「武蔵野国埼玉郡」「新方領」「大林村」
猿田彦大神文字庚申塔
右側は、主銘に「猿田彦大神」(さるたひこおおかみ)と刻まれている文字庚申塔。江戸後期・天保6年(1835)造塔。石塔型式は、山状角柱型。
台石
台石には、願主ふたりの名前と、18人の名前が刻まれている。すべて男性。
18人の中に「大林寺 鉄宗」「万蔵寺 真明」と、ふたりの僧侶の名前がある。「万蔵寺」は、大林香取神社の北側にあったが、今はない。
左側面
左側面には、「天保乙未春三月」「陶齋省吾拝書」とある。
本殿横
本殿に向かって右手、稲荷社の左脇に、笠付きの石塔が一基ある。
天満宮文字塔
石塔型式は笠付き角柱型。正面に「天満宮」と刻まれている。年代は不詳。
台石
台石には「世ハ人」(世話人)のほか、七人の名前と、「總村中」の銘が確認できる。
右側面
右側面は、劣化と破損で、確認できる文字は「戌」「十月」「武蔵野国」「村」
年代は予測できないが、「武蔵野国」「村」の部分には、「武蔵野国」「埼玉郡」「新方領」「大林村」と刻まれていたのかもしれない。
左側面
左側面には銘はない。
全体に劣化が進んでいて、近い将来、笠の部分が落ちてしまうかもしれない。
石仏調査終了
今回の石仏調査は、ここで終了。