謎の上屋敷跡
本ツアーで二箇所ある目玉のうち二つ目の場所、謎の上屋敷跡に到着。
現在、畑地になっているこの正方形の場所は、昔から「上屋敷」(かみやしき)と呼ばれていた土地で、かつて元荒川(古川)が花田村を迂回して流れていたころの左岸側(南側)の自然堤防上に位置している。
この場所は昔から謎
案内役の秦野氏と、同行した加藤氏によると、「この正方形の区画は昔からずっと残っていて、なんらかの跡地ではないかと考えられていた」という。秦野氏が、昔の航空写真に写っているこの場所をスマートフォンで見せてくれた。
御茶屋御殿の付随施設か
加藤氏の話によると、「家康が使ったとされる御茶屋御殿があった場所だという説もある」が、「御殿はなかったとしても、なんらかの付随施設があったのではないかと推定できる」と、秦野氏と加藤氏が、話をしてくれた。
この謎の上屋敷跡については加藤氏が「増林の御茶屋御殿」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/150930_m_goten_kk.pdf
移動|花田苑へ
謎の上屋敷跡の見学を終えて、花田苑(はなたえん)へと向かった。
花田苑の正門
花田苑の正門前に到着。前方に長屋門が見える。ここが本ツアー四番目のチェックポイントる。
正門前の暗渠
案内役の秦野氏から「正門前の暗渠は、新方川第30-1号雨水幹線で、かつては利根川の本流であった元荒川の旧河道で、下総国と武蔵国の国境だった」「江戸時代の元禄14年(1701)から江戸時代後期までは千間堀(現・新方川)河道として再利用されていた」との解説があった。
現在は東越谷・花田地区の雨水などを新方川へ排出しています。
昔の写真
花田の正門前から100メートルほど先、道路がややカーブをしている地点で、案内役の秦野氏が、花田苑がまだできる前、道路の新設工事を行なっているときの写真を見せてくれた。
当時、道路の前はほとんどが畑だったが、一軒だけ屋敷林のあるお屋敷が写っているが、なんと、そのお屋敷は今もそのままある。花田苑周辺の昔を知ることができる貴重な写真だ。
花田第一樋門ポンプゲート
花田苑沿いの暗渠(新方川第30-1号雨水幹線)を進むとT字路にぶつかった。正面の施設は花田第一樋門ポンプゲート。ポンプゲートの後方、左右に延びているのは新方川(にいがたがわ)緑道。T字路を左に折れて、ポンプゲートの横から新方川緑道に入る。
新方川緑道|新方川右岸
新方川緑道を上流に向かって歩く。右手は新方川の右岸。前方に鷹匠橋(たかじょうばし)が見えてきた。
新方川はもともとあった川ではありません。人工的に造られた川です。
新方川については秦野氏が「越谷市増林地区における『新方川』の流路変遷」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/200424_niigatagawa_h_hatano.pdf