葛西親水緑道
瓦曽根稲荷神社|遠景
右手に見える神社は瓦曽根稲荷神社。参拝はしないで、葛西親水緑道をそのまま進む。
溜井橋・瓦曽根橋跡
「瓦曽根一丁目」バス停の先で、「昔、ここ(葛西用水溜井)に、溜井橋(ためいばし)、または瓦曽根橋(かわらぞねばし)と呼ばれた橋が架かっていた」という解説があった。
三用水の取水口
瓦曽根溜井(葛西用水)右岸側の土手に、三用水の取水口(※3)が見える。手前が谷古田用水の取水口、その先が葛西用水、上の写真では確認しづらいが、しらこばと橋の手前に小さく見えるのが、八条用水の取水口。
※3 正確には元杁(もといり)と呼ぶ。
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少し歩いた先にあるT字路を右折。横断歩道を渡った先の角地に石塔がある。
道しるべ付き庚申塔
この石塔は、江戸中期・享保8年(1723)に建てられた、道しるべを兼ねた庚申塔。「これより上ぢおんじ三里はん」「これより左吉川へ壱里おおさかみ内」のほか「これより右 市川まで五里」などの文字が刻まれている。
ここは市川と越谷の合流地点でした。
この道しるべ付き庚申塔については越谷市郷土研究会の加藤氏が「葛西用水にある享保年間の市川へ行く道しるべ」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/275.pdf
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続いて、道しるべ付き庚申塔の裏手にある谷古田取水口公園に移動。
谷古田取水口公園
谷古田取水口公園(やこたしゅすいぐちこうえん)に到着。この公園は、谷古田用水の取水口の一画を整備してつくられた。敷地内には、谷古田用水の歴史や役割などが書かれた案内板が設置されている。
谷古田用水は、江戸前期・延宝8年(1680)に開削(かいさく)された農業用水。名前は、越谷から谷古田領(現・草加市)に流れていることに由来する。
さんが(さんがわ)
越谷地域では、三つの村にまたがっていたことから、「さんが」(さんがわ)と呼ばれていました。
(秦野氏)三つの村とはどこでしょうか?
西方(にしかた)登戸(のぼりと)蒲生(がもう)です。
五ヶ村用水
草加地域では、五つの村にまたがることから「五ヶ村用水」(ごかそんようすい)と呼ばれていました。
(秦野氏)五つの村とはどこでしょうか?
槐戸(さいかちど)篠葉(しのは)宿篠葉(しゅくしのは)谷古宇(やこう)中曽根(なかそね)です。
案内役・秦野氏の質問に見事正解する河内氏。思わず安堵の表情。
参考
谷古田用水の呼び名については、案内役の秦野氏が Twitter で解説している。
谷古田用水は旧足立郡谷古田領5ヶ村(槐戸村・篠葉村・宿篠葉村・谷古宇村・中曽根村)を灌漑していましたので、江戸時代の絵図には「五ヶ村用水」と記載されています。
地元の古老は「さんが」と呼んでいますが、これは流路の旧埼玉郡八条領西方村・登戸村・蒲生村の「3ヶ村(さんかそん)」の転訛と推定 https://t.co/nNTnDCHTde— 秦野 秀明@「埼玉凸凹地図」絶賛発売中! (@Wpl0JWzdw688IBR) October 27, 2022
谷古田河畔緑道の起点
谷古田用水は、瓦曽根溜井から取水して、越谷地域と草加地域に農業用水を送っていたが、現在、越谷市では農業用水として谷古田用水を利用している田んぼはない。用水沿いを緑道として整備したのが谷古田河畔緑道(やこたかはんりょくどう)。谷古田取水口公園は谷古田河畔緑道の起点になっている。
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公園内にある谷古田用水の取水口(元杁=もといり)に移動。
谷古田用水元杁煉瓦樋管
元杁(取水口)は、煉瓦(れんが)造りになっている。このレンガ造りの樋管(ひかん=トンネル)は、国内で現存する最古(明治24年〈1891〉4月18日)の煉瓦水門として、公益社団法人・土木学会の刊行する『日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選』に選ばれている。
あくまでも国内で現存する最古の煉瓦水門で、国内最古の煉瓦水門ではありません。
イギリス積み
上の写真は、案内役の秦野氏の解説を熱心に聞くガイドツアー参加者のみなさん。「この樋管のレンガは、イギリス積み(※4)という方式で積まれています」と、秦野氏が教えてくれた。
※4 レンガの積み方は、イギリス積みのほか、フランス積み(フランドル積)・長手積み・ドイツ積み(小口積み)などがある。
分水口
南側の翼壁に、分水口(ぶんすいぐち)が設けられている(上の写真の中央に見える小さなトンネル)。瓦曽根溜井から取水した用水を他の水路に分配しているほか、河川の氾濫防止のために別の水路に放水する役目も果たしている。