2022年11月9日・水曜日。越谷市郷土研究会〈地誌研究倶楽部〉巡検兼越谷リバーウォークガイドツアーに同行。越谷駅東口を起点に葛西親水緑道・東越谷緑道・新方川緑道などを歩いて、遺跡や石仏などを巡った。
越谷リバーウォーク|2022年11月9日
越谷リバーウォークは、越谷市内の川辺の遊歩道や緑道を散策して「水郷こしがや」の魅力を探すイベントで、全3コース。スタンプラリーも兼ねている。
NPO法人住まい・まちづくりセンター、NPO法人越谷市郷土研究会、越谷市住まい・まちづくり協議会が主催。
主な見学先
今回のガイドツアーは市内中部を巡る越谷リバーウォークBコースの後半。主な見学先は◇三ノ宮卯之助顕彰碑◇瓦曽根堰◇越谷警察署前遺跡◇東越谷緑道の起点◇スナッカラの地蔵◇謎の上屋敷跡◇花田苑の入口……など。
かつての利根川の自然堤防上にある越谷警察署前遺跡と謎の上屋敷跡の見学。2箇所とも個人ではなかなか見つけにくい場所なので絶好の機会だ。
集合・受付
集合場所は東武伊勢崎線・越谷駅東口。集合時間は午前8時30分。受付担当者に参加費を払って資料をいただく。
秦野氏あいさつ
今回の参加人数は17人。出発前に案内役をつとめる越谷市郷土研究会・副会長の秦野氏のあいさつと、今回のツアーの見どころなどの説明があった。
若色氏あいさつ
今回のツアーに同行する、越谷住まい・まちづくり協議会の若色(わかいろ)会長から、越谷リバーウォークの趣旨やスタンプラリーについて話があった。
集合写真撮影
全員で集合写真を撮ったあと、午前8時40分、越谷リバーウォークガイドツアー出発。
出発
市役所前中央通りを直進。四つ目の信号を右折。左手に見える建物は越谷市中央市民会館。街路樹の黄葉が色づき始めている。
三ノ宮卯之助顕彰碑
越谷市中央市民会館の南西の敷地(市道40001号線の歩道沿い)に記念碑がある。こここが最初のチェックポイント、三ノ宮卯之助顕彰碑(さんのみやうのすけ・けんしょうひ)
江戸時代後期、日本一の力持ちとうたわれた、旧三野宮村(現在の越谷市三野宮)出身の三ノ宮卯之助の存在を広く知ってもらおうと、2021年4月20日、NPO法人越谷市郷土研究会監修のもと越谷ロータリークラブが寄贈した。
顕彰碑の解説
顕彰碑には、卯之助の年譜や、卯之助が持ち上げて奉納した力石(ちからいし)が全国各地に残されていることなどが記されている。
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江戸時代後期、日本一の力持ちとうたわれた怪力の持ち主が越谷の三野宮村(現在の越谷市三野宮)にいた。名前は三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)。力持ちを見せ物として一座を結成。諸国を回って活躍した。越谷市内には卯之助が持ち上げて奉納した力石(ちからいし)が6個現存している。
瓦曽根溜井
続いて、越谷市中央市民会館の南東にある瓦曽根溜井(かわらぞねためい)の岸辺に向かった。
こしがやのキタミソウ
「こしがやのキタミソウ」と書かれた説明板が立っている。
説明板によると「越谷では、昭和25年(1950)に元荒川で発見され、その後、絶滅されたと思われていたが、昭和53年(1978)に、葛西用水瓦曽根溜井で再発見されて、現在に至っている」、といったことが記されている。
キタミソウの名前は、北海道の北見地方で発見されことに由来する。
開花時期
「こしがやのキタミソウ」は、主に葛西用水と古利根川の溜井部分に分布。用水の水が落ちる10月から12月、3月から4月にかけて白い可憐な花を咲かせる。大きさは 2ミリ程度。水辺の泥の中に生えているので、注意して探さないと見つけにくい。
同行した坂本氏から補足があった。
「こしがやのキタミソウ」は松伏溜井にも生えています。越谷の溜井だけではなく、松伏の溜井でも自生していることをぜひ知っておいてほしいと思います。
松土手・河岸場跡
現在の中土手(なかどて)、平和橋からしらこばと橋あたりに、かつて、「松土手」(※1)と呼ばれていた土手があった。松圦(まついり)という余水の流し場もあった。
※1 今回のツアーに同行した越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏の話によると「松土手」(まつどて)の名前は「松の植えられた中土手」に由来するとのこと。
松土手は、船荷を積み降ろしする河岸場(かしば)にもなっていました。
葛西親水緑道
葛西親水緑道に移動。しらこばと橋に向かって歩道を歩く。
四ヶ村用水
緑道の左手下に、瓦曽根溜井(葛西用水)から取水している流路がこちら側に伸びてきているのが見える。ここは四ヶ村用水(しかむらようすい)の取水口になる。
案内役の秦野氏。「四ヶ村用水」の「四ヶ村」、すらわち四つの村は、どこの村をさすのでしょうか」。この質問に同行した河内(かわうち)氏が答えた。
瓦曽根(かわらぞね)西方(にしかた)登戸(のぽりと)蒲生(がもう)です。
四ヶ村用水|緑道
瓦曽根溜井から取水した四ヶ村用水は、葛西親水緑道と市道の下をくぐって、南西に流下していく。
上の写真は取水口側(葛西親水緑道の歩道)から見た景色。正面のバス停のうしろに、暗渠(※2)になっている緑道が見えるが、その下を流れているのが四ヶ村用水。
※2 暗渠(あんきょ)とは、蓋をされて外からは流れが見えなくなってしまった川や水路のこと。土の中に埋められてしまって水路跡だけが残っている場合も暗渠と呼ばれている。
四ヶ村用水は今も現役
あの緑道は、瓦曽根溜井から取水して、日光街道沿いの四つの村に水を供給していた四ヶ村用水(しかむらようすい)を暗渠にして、その上を緑道として整備したもの。
今でも「用水」なのか、という質問に、案内役の秦野氏が答えた。
越谷市役所に問い合わせたところ、四ヶ村用水は今でも「用水」として登録されている、との回答でした。