石仏と石塔
供養塔
参道を進むと右手に二基、石塔が並んでいる。この石塔は供養塔。
百八十八箇所巡礼供養塔
向かって左側、笠付き角柱型の石塔は、江戸後期・天保11年(1840)造塔の百八十八箇所巡礼塔。正面の最頂部に梵字・アーンク。主銘は「奉順拝一百八十八ヶ所供養塔」「湯殿山 月山 羽黒」「西国」「四国」「坂東」「秩父」
台石
台石の正面には「鋪野」(しきの)と刻まれている。石塔の右側面に「願主 鋪野□□門」とあるので、「鋪野」は、寄進者の名字と思われる。
脇銘
左側面の銘は「天下泰平」「五穀成就」「光明真言一百万遍」「不動中咒一百万遍」「国土安穏」「諸人快楽」
右側面には「天保十一庚子年九月吉辰」「武州埼玉郡七左ヱ門村」のほか、三人の戒名と、願主の名前が見える。
家紋
石塔と台石の間にある石の正面に「五三の桐」(ごさんのきり)紋が刻まれている(上の写真の黄色い○で囲んだ部分)
五三の桐
五三の桐は五三桐(ごさんきり)とも呼ばれる格式の高い家紋。
普門品供養塔
向かって右側は、普門品供養塔(※4)。明治4年(1871)造塔。石塔型式は円頭型。
※4 普門品(ふもんぼん)とは、法華経の第八巻第二五品「観世音菩薩普門品」の別称。観音経とも呼ばれる。観音経(普門品)を一定回数読誦(どくじゅ)した記念に建てたのが普門品供養塔。
銘文
正面の主銘は「普門品」。左側面は「天下泰平」「風雨順時」、右側面には「旹明治四歳」「未如月吉日」とある。
台石
台石の正面は「七左衛門村 講中」の銘と14人の名前。左側面は「世話人」の銘と5人の名前。右側面は「講頭」の銘と講頭の名前。そのほか、「大門宿」「大澤町」「谷中村」「當所」の銘と、9人の名前が刻まれている。
台石は風化が進んで、目視で文字が確認できない箇所も多かったので、台石の銘文は「出羽地区の石仏」(※5)と照らし合わせた。
※5 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)「観照院」(普門品供養塔)52頁
さらに参道を進むと、左手に石仏群が見える。
石仏群
松の木の前に、馬頭観音塔や鬼子母神文字塔など七基の石仏が並べられている。
馬頭母子観音文字塔
昭和2年(1927)造塔の文字塔。石塔型式は駒型。主銘は「馬頭」「母子観世音」。脇銘は「昭和二年□年」「四月二十九日」の文字が確認できる。
馬頭観音文字塔|宝永7年
江戸中期・宝永7年(1854)造塔の馬頭観音塔。石塔型式は兜巾型(ときんがた)。主銘は「馬頭観世音」。脇銘は「□(※6)永七寅年八月吉日」「中組」のほか、寄進者名が刻まれている。
※6 「□永七寅」の□の部分は読みとれなかったが、宝永7年の干支は「寅」なので、「□永」は「宝永」で間違いないと思われる。
馬頭観音刻像塔|文政10年
頭に馬を戴いた馬頭観音座像が陽刻されている舟型の刻像塔。江戸後期・文政10年(1827)造塔。最頂部に馬頭観音を表わす梵字(種子=しゅじ)「カン」。脇銘は「文政十亥二月吉日」のほか「きの」の文字が見える。「きの」は寄進者名か。
馬口印
馬頭観音は、胸の前で馬口印(ばこういん)を結んでいる。
通常、馬口印と呼ばれる馬頭観音の印相は、人差し指と薬指を伸ばして中指を折る形だが、この馬頭観音座像は、両手の人差し指と中指を伸ばして他の指を握っている。
馬頭観音刻像塔|享保15年
主尊に六手合掌型の馬頭観音立像が浮き彫りされた刻像塔。石塔型式は角型。江戸中期・享保15年(1730)造塔。脇銘は「奉供養観世音」「菩薩為二世安楽」「享保十五庚戌天」「十月十八日」「施主 前谷組」「同行十三人」。前谷組は旧・七左衛門村の小名。
頭部に馬頭
この刻像について、越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏は次のように述べている。
観音像の頭部に馬頭らしきものが載せられているので、馬頭観音像と推定できる。多臂(たひ)であるので死馬の供養のための造立ではなく、馬頭観音の信仰を目的として建立した石仏である。
引用元:「出羽地区の石仏」(※7)
※7 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)「観照院」(8.馬頭観音菩薩像)53頁
馬頭観音刻像塔|文化3年
馬頭観音座像が陽刻された刻像塔。胸の前で馬口印(ばこういん/まこういん)らしき印相を結んでいる。江戸後期・文化3年(1806)造塔。石塔の下部には「文化三丙寅」「八月吉日」と刻まれている。
馬頭観音刻像塔|享和3年
馬頭観音座像が浮き彫りされた駒型の石塔。この彫像も胸の前で馬口印らしき印相を結んでいる。江戸後期・享和3年(1803)造塔。
脇銘
左側面に「享和三癸亥八月□日」と刻まれている。
5基の馬頭観音塔は馬捨て場にあった
越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏によると、ここにある5基の馬頭観音塔は「もとは七左衛門村と越巻村の境にあった馬捨て場(新川と七左衛門川が交わる北西角地)に建てられていた」(※8)という。
※8 加藤幸一「出羽地区の石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館所蔵)「観照院」53頁
供養塔
続いて、参道の両脇、松の木の根元にある三基の供養塔を調査した。