越谷市東大沢を流れる逆川(さかさがわ)右岸に沿って延びる逆川緑の道沿いにある水神宮文字塔を調べた。
調査年月日

調査年月日は、2026年6月28日。逆川をはさんで水神塔の対岸にあるのは鷺高第五公園(キャンベルタウン公園)。シンボルの時計台(ツインタワー)が見える。
水神塔

水神塔(水神宮文字塔)は、コンクリートブロックの上に建っているトタン葺きの鞘堂(さやどう)に(逆川に面して)納められている。
正面

石塔の造立は江戸後期・文化3年(1806)。石塔型式は駒型。正面に「水神宮」と刻まれている。
左側面

左側面(向かって右側)の銘は「文化三丙寅歳」「鷺後」「講中」
「講中」(こうじゅう)とは、信仰者の集まりのこと。「鷺後」「講中」とあるので、この水神塔は、「鷺後講中」(さぎしろこうじゅう)によって建てられた。
鷺後
このあたり(現・東大沢一丁目~二丁目付近)は、かつて、大沢の「鷺後」(さぎしろ)と呼ばれた。
「鷺後用水路(逆川=さかさがわ)に沿った林の茂る古い集落で、鷺(さぎ)が群れをなして集まったことから、『鷺代』(さぎしろ=鷺が集まる代=田地)と呼ばれていたが、のちに『鷺後』と表記されるようになった」(※1)
※1 『わたしたちの郷土こしがや(第一集)』越谷市教育委員会(昭和56年8月30日発行)「大沢の地名」32頁
右側面

右側面(向かって左側)には、「六月吉□日」(吉□日は吉祥日か)「願主」「加藤浅右ェ門」とある。
水神塔について

水神塔(すいじんとう)は、水を司る神である「水神」(すいじん)を祀るために建てられた石塔。
江戸時代から明治時代にかけて、農業用水の確保、水難除け、水運の安全などを祈願して、全国の農村や川沿いの集落で、さかんに建てられた。
当時は今のように頑丈なコンクリートの堤防がなかったため、人々は自然の脅威に対して、神仏に祈ることで心の拠り所(よりどころ)にしていた。
説明板

水神宮文字塔が納められている鞘堂の背面に「水神宮様について」と題した、鷺後(さぎしろ)自治会による説明板が掛けられている。文面を以下に記す。
逆川沿いに文化3年(1806年)銘の水神様が建っております。川を敬う御神体として、農業・生活用水等、貴重な水に感謝し、豊作祈願及び水難防止として建立され、現在にいたっております。
当時の高畑(たかばたけ)や鷺後(さぎしろ)には染物を営む職業が多く、紺屋(こんや)とか更屋(さらや)という屋号が現在も残っておりますように、逆川のあちこちに洗い場があり、日常生活に欠かせない川であったと思われます。
[中略]
私たちは、逆川の恵みを得て生活した人々の往時をしのびながら、毎年七月七日に水神様祭として、神事を催し、祈りを捧げております。
鷺後自治会引用元: 「水神宮様について」説明板
かつての場所

鷺後香取神社
この水神宮文字塔は、かつては、この場所から西60メートル先の鷺後(さぎしろ)香取神社の道路脇にあった。
『越谷ふるさと散歩(下)』に、「鷺後の香取神社に入る舗装道の角に、トタン屋根で覆われた石塔が目につくが、これは文化3年(1806)の造塔になる水神宮である」(※2)とある。
※2 越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)「鷺後用水沿いの神社」106頁
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越谷市東大沢一丁目にある鷺後(さぎしろ)香取神社の石仏・力石と境内の風景を現地で撮影した写真とともにお伝えする。
場所

水神宮文字塔の住所は埼玉県越谷市東大沢1-18-19。場所は逆川緑の道沿い( 地図 )。逆川をはさんで水神塔の対岸にある鷺高(さぎたか)第五公園(キャンベルタウン公園)の時計台(ツインタワー)が目印。
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『越谷市民俗資料集』越谷市史編さん室(昭和45年3月1日発行)
『わたしたちの郷土こしがや(第一集)』越谷市教育委員会(昭和56年8月30日発行)
加藤幸一「大沢町・越ヶ谷町の石仏」平成13年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)
『松伏町史 文化財編(石造物・絵馬・指定文化財)』松伏町教育委員会(令和6年3月22日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)





