越谷市西新井にある西組自治会館(旧・正覚庵)にある庚申塔や名号塔など石仏石塔を調べた。
西組自治会館|正覚庵跡

西組自治会館は、西教院(さいきょういん)の西南西250メートル。越谷街道の南脇にある。古くは「正覚庵」(しょうかくあん)と呼ばれた寺院跡地。
 
正覚庵は西教院の末寺であった。江戸後期に幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』「西新井村」の項に「正覚庵 西教院の末なり」(※1)とある。
※1 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「西新井村」144頁
観音様

西組自治会館は、正覚庵だった時代から「観音様」の名で親しまれてきた。
 
現在の建物は、老朽化が著しかった堂宇(西組集会所)を昭和41年(1966)に改築し、西組自治会館と名前を改めた。その後、境内と墓地の整備を昭和57年(1982)に終え、現在に至っている。
 
今でも地元では「観音様」と呼ばれている。
石仏石塔

境内(道路脇)には、昭和の整備のさいにまとめられた石仏や石塔が並べられている。
 
順番に見ていこう。
庚申塔

道路脇、六地蔵の横に、石塔が二基並んでいる。向かって右側は、卵形の自然石に「庚申」と刻まれた庚申塔。江戸後期・文化4年(1807)造塔。
台石

台石の正面には、「西新井村講中」のほか、13人の名前が刻まれている。右側面(向かって左側面)にも15人の名前が確認できる。
 
左側面(向かって右側面)の銘は「文化四丁卯年」「正月吉日」
盃状穴|背面上部

自然石の正面と、背面の上部と下部に盃状穴(はいじょうけつ=凹み穴)が、大小合わせて数個ある。
盃状穴|背面下部

上の写真は背面下部の盃状穴。
 
盃状穴については諸説あるが、なんらかの目的で人為的に彫られたと考えられている盃状(さかずきじょう)の穴(凹み穴)で、石造物に多くみられる。呪術や土俗信仰と深くかかわっているともいわれているが、詳しいことはわかっていない。
馬頭観音塔

庚申塔の隣の石塔は馬頭観音塔。江戸末期・文久3年(1863)造塔。石塔型式は山状角柱型。正面の主銘は「□□観世音」。石塔の劣化がひどく、「□□」の部分は読みとれない。
 
平成14年(2002年)に、この石塔を調査した、越谷市郷土研究会の加藤幸一氏の調査報告(※2)では、「□□観世音」は「馬頭観世音」としているので、加藤氏の調査報告に従った。
※2 加藤幸一「荻島地区石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館所蔵)「西組自治会館」(19.「馬頭観音」文字塔)76頁
脇銘

左側面(向かって右側面)の脇銘は「文久三癸亥六月廿二日」
六地蔵

庚申塔と馬頭観音塔のうしろにある鞘堂(さやどう)には六地蔵が安置されている。
- 禅林地蔵菩薩
 - 無二地蔵菩薩
 - 護讃地蔵菩薩
 - 諸龍地蔵菩薩
 - 伏勝地蔵菩薩
 - 伏息地蔵菩薩
 
右から順番に見ていく。
禅林地蔵

向かって右端は禅林地蔵(ぜんりんじぞう)。左手に宝珠、右手に錫杖を持っている。台石の主銘は「禅林地蔵菩薩」。中央最頂部に梵字「イー」。脇銘は「享保十四己酉年」(※3)「十月卄四日」(十月二十四日)
※3 「享保十四己酉年」と刻まれているので、この六地蔵は江戸中期・享保14年(1729)に寄進されたことがわかる。
無二地蔵菩薩

右から二番目は無二地蔵(むにじぞう)。両手で念珠(数珠)を持っている。台石の主銘は「無二地蔵菩薩」。中央最頂部に梵字「カー」
護讃地蔵菩薩

右から三番目は護讃地蔵(ごさんじぞう)。両手で幢幡(どうばん)を持っている。台石の主銘は「護讃地蔵菩薩」。中央最頂部に梵字「イー」。脇銘は「導師西教院十二世」「鏡譽上人」(※4)
※4 江戸時代、この場所(西組自治会館)は、西教院の末寺・正覚庵だった。この台石には、本寺(西教院)12代住職(鏡誉上人)の銘が刻まれている。
諸龍地蔵菩薩

右から四番目(左から三番目)は、諸龍地蔵(しょりゅうじぞう)。両手で合掌している。。台石の主銘は「諸龍地蔵菩薩」。中央最頂部に梵字「イ」。脇銘は「西新井村」「念佛講中」(念仏講中)
伏勝地蔵菩薩

左から二番目は伏勝地蔵(ふくしょうじぞう)。両手で香炉(こうろ)を持っている。台石の主銘は「伏勝地蔵菩薩」。中央最頂部に梵字「カ」
伏息地蔵菩薩

向かって左端は伏息地蔵(ふくそくじぞう)。両手で蓮華(れんげ)を持っている。台石の主銘は「伏息地蔵菩薩」。中央最頂部に梵字「イ」。脇銘は「当庵第七世」「悦誉玄秀代」(※5)
※5 「当庵」の銘から、この場所(西組自治会館)が、かつて正覚庵という寺院だったことがうかがわれる。
自治会館入口脇






