NPO法人・越谷市郷土研究会が、第55回越谷市民文化祭(2024年11月22日~24日)に出展した8人の作品(論考)を紹介する。

越谷市民文化祭

越谷市民文化祭

越谷市民文化祭は、文化に親しむ市民の成果発表の場として、越谷コミュニティセンターで毎年開催される市民文化の祭典。今年(2024年)で、55回目を迎えた。
 
絵画・華道・工芸・郷土研究などの作品展示や日本舞踊・合唱・楽器演奏などのステージ発表が行なわれる。
 
私が在籍している「NPO法人・越谷市郷土研究会」も郷土研究の部に、毎年、作品(論考)を出品している。今年(2024年)は、8人の研究成果が展示された。

郷土研究会出展作品

郷土研究の部|越谷市民文化祭

  1. 平方の鹿島神社について
  2. 将軍家鷹狩りの立寄り先
  3. 越谷今昔‥昭和と令和の越谷十景
  4. 新方川(下千間堀)と周辺地域について
  5. 下総国葛飾郡「十丁免」と「大河戸郷」
  6. 「栄広山清浄院寺記」にみる越谷
  7. 相給村の百姓構成について
  8. 勝林寺の閻魔堂

以下、今年(2024年)の越谷市民文化祭に出展した越谷市郷土研究会の作品(論考)を紹介していく。

①平方の鹿島神社について

展示①

一番目は、越谷市郷土研究会・会長の大野悦治さんの「平方の鹿島神社について」
 
越谷市平方東前(ひらかた ひがしまえ)の鎮守・鹿島神社の歴史や年中行事の冬御備社(ふゆおびしゃ)と夏御備社(なつおびしゃ)などについて論考している。御備社の当番の役割や当日もてなされる料理など……。

②将軍家鷹狩りの立寄り先

展示②

二番目は、加藤幸一さんの「将軍家鷹狩りの立寄り先」
 
若いころから鷹狩り(※1)を好んだ徳川家康は、将軍になっても鷹狩りと称して領国各地を巡回した。鷹狩は家康以降の将軍にも受け継がれた。
 
越谷市内で将軍家の鷹狩りに伴う休泊所や鷹場の管理と監視をする「野廻り」を務めた家について地図とともに詳しく考察している。

※1 鷹狩(たかがり)とは、飼い慣らした鷹を野や山で放って野鳥や地上の小動物を捕らえる狩猟のこと。

③越谷今昔‥昭和と令和の越谷十景

展示③

三番目は、私の「越谷今昔‥昭和と令和の越谷十景」
 
越谷市デジタルアーカイブ(※2)に公開されている昭和の写真と同じ場所を十箇所巡って撮影。上下に写真を並べて、様変わりした昭和と令和の越谷の風景を紹介している。
 
十景の場所は、①赤山踏切②寺橋水練場③元荒川・東武線鉄橋④越ヶ谷久伊豆神社⑤越谷駅前・東口⑥越谷三丁目歩道橋⑦堂面の渡しと堂面橋⑧七左町下組稲荷神社⑨越谷商店街⑩オイテケ堀と弁天社

※2 越谷市デジタルアーカイブとは、越谷市内の古い写真・地図・古文書など、越谷市が所有する多様な資料を無料で検索・閲覧できるWebサイト。2023年8月に越谷市公式ホームページ内に公開された(https://adeac.jp/koshigaya-city-digital-archives/top/

④新方川(下千間堀)と周辺地域

展示④

四番目は、瀧田雅之さんの「新方川(下千間堀)と周辺地域について『増林にある湾曲した道(宮野橋・城之上橋間)』」
 
越谷市内を流れる新方川(にいがたがわ)。古くは千間堀(せんげんぼり)と称され、「下千間堀」(※3)の宮野橋(みやのばし)左岸側から城之上橋(しろのうえばし)方面へ向かう湾曲した道について、地図とともに論考している。

※3 千間堀は、葛西用水(逆川)を伏せ越した旧大吉村と旧増林村の境界から上流部を「上千間堀」(かみせんげんぼり)、増林を経て中島へ至る部分を「下千間堀」(しもせんげんぼり)と呼ばれていた。

⑤下総国葛飾郡十丁免と大河(川)戸郷

展示⑤

五番目は、越谷市郷土研究会・副会長の秦野秀明さんの「下総国葛飾郡『十丁めん(免)』と『大河(川)戸郷』」
 
現在の越谷市に相当する地域に比定されている「(下川辺庄)新方」「(下川辺庄)新方・十丁めん(免)」、及び「大落古利根川」を挟んで「(下川辺庄)新方・十丁めん(免)」の対岸に存在し、現在の北葛飾郡松伏町に相当する地域に比定されている「(下川辺庄)下方・大川戸郷」に関して、資料ともに詳細・緻密に論考している。

⑥「栄広山清浄院寺記」にみる越谷

展示⑥

六番目は、舩岳知康さんの「『栄広山清浄院寺記』にみる古代から中世の越谷とその考察」
 
越谷市大松にある浄土宗の寺院・清浄院(しょうじょういん)の「寺記」の中に出てくる①鎌倉時代②室町時代(中期)③室町時代(戦国期)④江戸時代……の事項について、七項目に分け、詳しく論考している。

⑦相給村の百姓構成について

展示⑦

七番目は、真壁志郎さんの「相給村の百姓構成について」
 
江戸時代、相給村(あいきゅうむら)だった出羽地区の七左衛門村を例に、相給村(※4)の支配と百姓の関係について、資料とともに考察している。

※4 ひとつの村を複数の領主が分割支配する状況を「相給」(あいきゅう)と呼び、村の石高(こくだか)と百姓軒数が各支配ごとに分割されている村を「相給村」という。

⑧勝林寺の閻魔堂

展示⑧

八番目は、山本泰秀さんの「勝林寺の閻魔堂」
 
越谷市増林の勝林寺(しょうりんじ)が所有していた「閻魔堂」のかつての場所と、閻魔堂の敷地内で、平成末まで営業していた石川商店の逸話について、聞き取り調査をもとに論考している。

補足

配付資料

本記事で紹介した「第55回越谷市民文化祭<令和6年度>郷土研究会展示作品」は、越谷市郷土研究会のホームページで閲覧可能。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/r5_54th_k_s_b.htm

※現在は、昨年(令和5年度)の作品が掲載されています。本記事で紹介した今年(令和6年度)の展示作品が掲載されしだい、リンクを差し替えます。しばらくお待ちください。

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越谷市郷土研究会の案内書

越谷市郷土研究会は昭和40年(1965年)に創立されたNPO法人で、越谷市内外の史跡をまわる史跡めぐりや越谷の歴史についての講演会などのイベントを通じて、越谷の調査研究・郷土の歴史に関する啓発などの活動をおこなっています。会報も発行。
 
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