NPO法人・越谷市郷土研究会が、第56回越谷市民文化祭(2025年11月21日~24日)の郷土研究の部に出展した8人の作品(論考)を紹介する。
越谷市民文化祭

越谷市民文化祭は、文化に親しむ市民の成果発表の場として、越谷コミュニティセンターで毎年開催される市民文化の祭典。今年(2025年)で、56回目を迎えた。
絵画・華道・工芸・郷土研究などの作品展示や日本舞踊・合唱・楽器演奏などのステージ発表が行なわれる。
私が在籍している「NPO法人・越谷市郷土研究会」も郷土研究の部に、毎年、会員の作品(論考)を出品している。
今年(2025年)は、8人の研究成果が展示された。
郷土研究会出展作品

- 西新井にある徳本行者の名号塔
- 越谷市の城館跡
- 越谷今昔<橋編>昭和と令和の越谷十景
- 宇田家の最後の当主、美知の短歌
- 新方川念佛橋の名前の由来
- 「越谷郷」と「足立郡」
- 名主の給料 How much!
- 神田佐久間小学校の学童疎開
以下、出展作品(論考)を紹介していく。
①西新井にある徳本行者の名号塔

一番目は、加藤幸一さんの「西新井にある徳本行者の名号塔とその真筆の掛軸」
越谷市西新井・西教院にある徳本行者(とくほんぎょうじゃ)の名号塔(※1)と、長島村の名主を代々勤めた旧家に保存されている徳本行者真筆の掛軸をスケッチと写真で考察。
また、越谷市内四箇所にある徳本行者の名号塔を分布図にして紹介している。
※1 徳本行者は、江戸後期、諸国を行脚し、布教につとめた浄土宗の僧侶。徳本が書いた「南無阿弥陀仏」(名号)の文字は、丸みを帯び、終筆がはねあがっている独特な書体から徳本文字とも呼ばれている。
②越谷市の城館跡

二番目は、菅波昌夫さんの「越谷市の城館跡」
越谷市の城館跡について、先行研究「越谷における中世の城館跡」(※2)の「まえがき」を引用し、中世における越谷の城館跡について触れている。
※2 高橋力(1988)「越谷における中世の城館跡」(https://koshigayahistory.org/131.pdf)
③越谷今昔<橋編>

三番目は、私の「越谷今昔<橋編>和と令和の越谷十景」
越谷市デジタルアーカイブ(※3)に公開されている昭和時代に撮られた「越谷の橋」の写真と同じ場所を十箇所巡って撮影。上下に写真を並べて、様変わりした風景を紹介している。
十景の場所は、①不動橋②大沢橋③〆切橋④元荒川橋と草加バイパス⑤寺橋水練場と宮前橋⑥三野宮橋⑦出津橋⑧一ノ橋⑨堂面の渡しと堂面橋⑩神明橋
※3 越谷市デジタルアーカイブとは、越谷市内の古い写真・地図・古文書など、越谷市が所有する多様な資料を無料で検索・閲覧できるWebサイト。2023年8月に越谷市公式ホームページ内に公開された(https://adeac.jp/koshigaya-city-digital-archives/top/ )
④宇田家の最後の当主、美知の短歌

四番目は、関根芳孝さんの「宇田家最後の当主、美知の短歌から昭和の時代をたどる」
旧見田方村(現・越谷市大成町)の名家、宇田家最後の当主・美知がまとめた歌集「蓮の花」から美知の詠んだ和歌を時系列(昭和2年~昭和53年)に選定し、美知が生きた昭和の世相や宇田家、近隣の生活などを考察している。
⑤新方川念佛橋の名前の由来

五番目は、瀧田雅之さんの「新方川に架かる橋『念佛橋の名前の由来』」
越谷市上間久里から大泊の安国寺に至る念佛橋通りが新方川(にいがたがわ)を渡る場所に架かっている「念佛橋」(ねんぶつばし)の名前の由来について、三つの説を柱に紹介している。
⑥「越谷郷」と「足立郡」

六番目は、越谷市郷土研究会の副会長・秦野秀明さんの「『越谷郷』と『足立郡』」
「越谷郷」と「足立郡」について、先行研究の内容を踏まえ、①「越谷郷」が「足立郡」に属していた可能性②縄文時代後期から弥生時代中期後半に至るまでの「利根川」の河道③「足立郡」と「埼玉郡」の祭祀圏境界……を緻密に考証し、新たな仮説を提起している。
上記、秦野さんの論考「『越谷郷』と『足立郡』」は、インターネットでも閲覧可能。ダウンロードも可。リンク先を以下に示す。
https://koshigayahistory.org/251118_koshigaya_adachi_h_hatano.pdf
⑦名主の給料 How much!

七番目は、真壁志郎さんの「名主の給料 How much!」
江戸時代の越谷地域における名主(※4)の給料(名主給)をはじめ名主の具体的な仕事と実態について、資料とともに考察している。
※4 江戸時代、領主の下で、税務・警察・裁判の権限を有し、村政ををつかさどった役人。身分は百姓。
⑧神田佐久間小学校の学童疎開

八番目は、山本泰秀さんの「神田佐久間小学校の学童疎開」
昭和19年(1944年)、太平洋戦争の戦火が激しくなった中、東京都千代田区神田から越谷に学童疎開をしてきた神田佐久間小学校の児童たちの終戦を迎えるまでの様子を先行研究と聞き取り調査をもとに論考している。
補足

本記事で紹介した「第56回越谷市民文化祭<令和7年度>郷土研究・展示作品」は、越谷市郷土研究会のホームページで閲覧可能。リンク先を以下に示す。
https://koshigayahistory.org/r7_56th_k_s_b.htm
越谷市郷土研究会

越谷市郷土研究会は昭和40年(1965年)に創立されたNPO法人です。
越谷市内外の史跡をまわる史跡めぐりや越谷の歴史についての講演会などのイベントを通じて、越谷の調査研究・郷土の歴史に関する啓発などの活動をおこなっています。会報も発行。
越谷市郷土研究会の入会や活動および研究報告などについては越谷市郷土研究会のホームページをご覧ください。





