越谷市東柳田町の朝日屋が今年(2025年)開業60年を迎えた。地元に根ざして60年。越谷のほまれ そば うどん 朝日屋の歴史を振り返り料理をたたえる。

朝日屋の歴史

はじめに、店主の岡田博義さん(62歳)にインタビューした内容と、岡田さんから提供していただいた写真とともに、朝日屋の歴史を振り返る。

昭和40年初期

昭和40年初期の朝日屋

――上の写真はいつごろのものですか?

(岡田)店の前がまだ砂利道なので、昭和40年初頭(1968年前後)かなぁ。朝日屋は昭和40年(1965年)ごろに越谷に店をかまえたので、開業して二、三年でしょうか。

――写真に男の子が三人映ってますね。

(岡田)我が家は男四人兄弟です。階段の上に二人いるのは兄と私。砂利道を歩いている半ズボン姿は三男かな?
 
四男の栄蔵は昭和41年生まれなのでどうだろう、映ってるのかな。もしかしたら、砂利道を歩いている半ズボン姿が栄蔵で、階段の上にいるのが私と三男。長男がこの写真を撮ったのかもしれないなぁ……。

昭和50年後半

昭和50年後半の朝日屋

上のカラー写真は、昭和50年後半(1983年)ごろの朝日屋。看板には「朝日屋食堂」と書かれている。入口横のサンプルケースも懐かしい。今や昭和の遺産だ。

朝日屋開業秘話

現在の朝日屋を創業したのは、岡田博義さんのお父さま。
 
お父さまは、東京都中央区八丁堀西の松屋で働いていたが、松屋の経営者が失踪。借金を抱えて残された旦那さんと姪っ子、岡田さんのお父さまで経営を継続。
 
その後、松伏出身のお父さまが、60年前、昭和40年(1965年)ごろに、越谷で独立開業した。それが現在の朝日屋だ。

――朝日屋の屋号の由来は?

(岡田)おやじから聞いた話では、松屋の経営者がトンずらしたので、松屋の屋号で商売をするのは縁起が悪いから、当時都内に多かった「朝日屋」にしたと聞きました。俗にいう「朝日屋のれん会」とは、いっさい関係ありません。

亡き叔父さま

亡き叔父さま

上の写真は、当時、働いていた博義さんの亡き叔父さま。博義さんのお母さまの弟さんだ。ナント、平盆に載せた出前の品を10段積み上げて左肩に担いでいる。まさに職人技。昭和のそば屋の懐かしい出前姿だ。
 
出前姿の叔父さまのうしろに東武伊勢崎線の踏切が見える。当時はまだ高架になっていなかった。これも懐かしい越谷の風景だ。

――創業当時の従業員は?

(岡田)朝日屋は、創業当初から忙しく、私の両親をはじめ親戚一同、パートさんバイトさん、そば屋独立開業の下働きと、数多くの人に助けていただいて営業していたようです。

朝日屋主人

おやじが始めた朝日屋は、八丁堀朝日屋・西新井朝日屋・春日部藤塚朝日屋・越谷赤山町朝日屋・当店と、最盛期で五軒の系列朝日屋がありました。

春日部朝日屋の大旦那

春日部朝日屋の大旦那

こちら(上の写真)は、当時、朝日屋につとめていた、現・春日部朝日屋の大旦那。叔父さま同様、平盆に載せた出前の品を10段積み上げている。当時の朝日屋がいかに忙しかったかを物語る写真だ。

朝日屋主人

当時、現・春日部朝日屋の大旦那は、奥さまと当店で働いていました。お二人はそれが縁で結婚しました。

お母さま

お母さま

上の写真は、博義さんの亡きお母さま。昭和8年(1933年)生まれのお母さまは、朝日屋のおかみさんとして、四人の息子たちの母親として、多忙な時代を生き抜いた。
 
割烹着姿のお母さまのうしろにへばりついているのは、四男の栄蔵さん。末っ子だから甘えん坊だったのかな。このとき、お母さまは30代後半。
 
お母さまの後方に、イトーヨーカドーが見える。博義さんによると「イトーヨーカドー越ヶ谷店は昭和44年(1969年)に開店した」ので、写真は、昭和45年(1970年)ごろに撮影されたと思われる。
 
栄蔵さんは昭和41年(1969年)生まれなので、お母さまにへばりついている栄蔵さんは、4歳ぐらいか。

アマリリス

アマリリス

お母さまのアマリリス

朝日屋の入口脇に鉢植えのアマリリスがある(上の写真…2025年6月9日撮影)。この桜色のアマリリスは、1999年(平成11年)に、66歳で亡くなった博義さんのお母さまが生前、ニッセンの通販で買ったもの。

朝日屋主人

26年たって、花は小さく背丈は低くなりましたが、今年(2025年)も咲いてくれました。

栄蔵さん

兄の博義さんとともに朝日屋を支える四男の岡田栄蔵さん。昭和42年(1967年)12月生まれ58歳。高校卒業後、すぐに朝日屋で就業。今年(2025年)で40年目になる。

朝日屋の栄蔵さん

高校生のころからバイクが好きで、出前バイクに乗って配達の手伝いをしていました。


栄蔵さんは、ミュージシャンの肩書きも持つ。タンク☆ポップのワッコさんやかっくんたちと音楽活動もおこなっている。

博義さん

朝日屋二代目店主・岡田博義さん。昭和37年(1962年)11月生まれ62歳。高校卒業後、調理師専門学校に一年通い、19歳で就業。朝日屋に入って44年目を迎えた。

――博義さんが朝日屋を継いだ理由は?

私は次男ですが、長男が勉強がよくできたので、私にお鉢が回ってきました。小中学校から店を手伝っていたので、その延長線上に(朝日屋を)継ぐ理由があったのかな……。
 

――岡田さん、このたびは貴重なお話、ありがとうございました。

60年前の越谷

朝日屋が開業した昭和40年(1965年)、越谷ではこんなことがあった。

福祉会館落成

落成当時の越谷福祉会館 昭和40年(※1)

越谷市福祉会館が(現在の中央市民会館の場所に)完成(上の写真)。市立図書館が同館内に移転したほか、会議室、調理実習施設のほか 結婚式 や映画会ができるホールなどもあった。

朝日屋主人

当時、朝日屋で働いていた現・春日部藤塚朝日屋の大旦那と奥様は当店で出会われ、結婚。うちの両親が仲人をつとめ越谷福祉会館で結婚式をあげました。

※1 白黒写真の出典は越谷市デジタルアーカイブ( 福祉会館

市内初の歩道橋架橋

越谷3丁目歩道橋今昔(※2)

越谷市初の横断歩道橋が越ヶ谷観音横町(現在の越ヶ谷三丁目)に完成。地元の小学生たちが渡り初めをおこなった。この歩道橋(越谷3丁目歩道橋)は今も健在。

※2 白黒写真の出典は越谷市デジタルアーカイブ。カラー写真は2024年9月12日にボクが撮影したもの。

お気に入り料理10選

続いて、朝日屋のお気に入り料理を10品紹介する。