森西川自治会館|越谷市最古の石仏を見学
11時45分。森西川自治会館に着いた(越谷市増森277-4)。自治会館の前は共同墓地。墓地の一画に石塔や石仏が置かれている。なお今回、墓地内に立ち入るにあたっては、事前に墓の所有者のお宅を訪問し、墓地内で石仏を見学する許可を得ていることを申し添えておく。
越谷市最古|二基の庚申塔
上の写真が越谷市最古の二基の庚申塔。向かって右端が、江戸前期・寛文4年(1664)の三猿庚申塔、中央の正面を上にして倒れているのが、江戸前期・貞享4年(1687)の青面金剛像庚申塔。なお左端の聖観音菩薩立像が浮き彫りされている供養塔も同じく江戸前期(寛文7年〔1667〕)のもの。三基とも造立(ぞうりゅう)から350年近くたっている。
三猿庚申塔|寛文4年
三匹の猿が刻まれている三猿庚申塔。風化が進んで彫像面は鮮明ではないが、左から言わ猿・聞か猿・見猿が陽刻されている。三猿だけが刻まれた初期の庚申塔。「寛文四年」の銘がうっすらと読める。
青面金剛像庚申塔|貞享4年
こちら(上の写真)は、青面金剛像が浮き彫りされた庚申塔。「日月」「青面金剛」「二鶏」「三猿」が彫られた庚申塔では越谷市最古となる。「貞享四丁卯」の銘も確認できる。
じつはこの庚申塔は、下向きで倒れたままになっていた。今回の史跡巡りの下見でここを訪れたとき、越谷市最古の庚申塔が下向きに倒れたままでは忍びないということで、秦野氏といっしょに(墓の所有者に許可を得たうえで)表向きにした。そのときの様子は下記の記事にまとめてある。
越谷市増森・森西川自治会館横の墓地内に越谷市最古の青面金剛像庚申塔がある。残念なことに正面を下にして倒れたままになっていた。このままでは忍びない。2021年6月24日、現地におもむき、石仏を起こしたところ青面金剛像が無傷で姿を現わした。
最古の庚申塔を見学
案内役の秦野氏が庚申塔の見どころを教えてくれた。
この青面金剛は胸にドクロの瓔珞(ようらく=装身具)を身につけています。ドクロの瓔珞が描かれている書面金剛像は越谷市内でもたいへん珍しいものです。また、石塔の下に「新光寺」(しんこうじ)という文字が確認できます。これは、かつてここに「新光寺」(真光寺)というお寺があったことを示す証拠にもなります。
秦野氏の解説のあと越谷市最古の庚申塔を見学。みなさん興味津々。写真を撮ったり熱心に見入っていた。
なお秦野氏は、この貴重な石仏が散在してしまうことを憂慮し、越谷市の遺産となるべき貴重なこの石仏をきちんとした形で残すよう越谷市に陳情している。それについては秦野氏が Facebook で発信している。リンク先を以下に示す。
https://www.facebook.com/hideaki.hatano.10/posts/1938733332945277
そのほかの石仏と石塔
そのほか、共同墓地の一画には、道しるべ付き庚申塔・名号塔・十九夜塔などの石仏や石塔が点在しているが、紙面の都合で解説は省いた。詳しくは別の記事にまとめてある。
越谷市増森・森西川自治会館の横手に共同墓地がある。場所は、越谷東高校の東300メートル、元荒川左岸土手に並行する市道沿い。眞光寺と称された寺院の跡地で、敷地内にある越谷市最古の三猿庚申塔と青面金剛像庚申塔のほか十九夜塔や名号塔などの石仏を現地取材した。
正午。予定の見学先はあと一箇所。最終地点の越谷市立病院をめざして、森西川自治会館(共同墓地)をあとにした。
移動|南埼玉病院前
森西川自治会館から北に50メートルほど歩いて丁字路を左折。南埼玉病院を過ぎて道なりに進む。
小さな祠|雷電社跡
道の途中、道路脇に小さな祠があった。かつて、この祠から奥に向かって参道があり、参道の先に雷電社があった。
12時10分。予定の見学場所はこれですべて見終わった。越谷市立病院まではあと700メートルほど。今回の史跡巡りもあと少し。
帰路|越谷市立病院へ
道を進むと十字路に出た。十字路の角地(前方左手)にある杜の中の小さなお社(やしろ)は竃三柱神社(かまどみはしらじんじゃ)。横断歩道を渡ってそのまま直進。
砂利道を歩く
十字路を越えた先の道は砂利道。砂利道をこうして歩くのは久しぶりだ。道の左手は田んぼ、右手は耕地。前方に越谷市立病院が見える。あと600メートルほどか。
東越谷調整池
東越谷調整池(東越谷九丁目公園の隣)を通過。増林から東越谷に入る。
市立病院交差点
市役所前中央通りにぶつかる。左折。200メートルほど歩くと市立病院交差点に出る。前方右手が越谷市立病院。ゴールも間近。
越谷市立病院に到着
12時20分。越谷市立病院に到着。あとはバスに乗って越谷駅へ
バス乗車|越谷駅東口へ
12時30分。越谷市立病院始発のバスに乗れた。越谷駅東口までの乗車時間はおよそ10分。
帰着|越谷駅東口
12時40分。すべての行程を終え、越谷駅東口に帰着。午前8時40分に北越谷駅東口からバスに乗って、歩いた距離は約6.2キロメートル。4時間かけての史跡巡りだった。
解散
12時45分。越谷市郷土研究会・渡邊会長から恒例の締めのお言葉「史跡巡りはここで終わりではありません。みなさんそれぞれ家に着いて、ドアを開けて家の中に入ったときに終わりです。気をつけてお帰りください」をいただき、案内役の秦野氏に参加者一同感謝の拍手のあと解散。
後記
本記事は、2021年7月8日(木)に行なわれた越谷市郷土研究会主催「第509回史跡めぐり~最古の石仏と下千間堀」に同行し、当日の全行程を忠実に再現したものだが、記事をまとめるさいには、正確を期すために、関係資料および文献も参考にした。引用した箇所については記事中に引用元を明記した。
(1)越谷市郷土研究会「第509回史跡めぐり~最古の石仏と下千間堀」当日配付資料
(2)秦野秀明(2020)『越谷市増林地区における「新方川」の流路変遷』※(1)の附属資料
(3)「増林地区の石仏」加藤幸一(平成16・17年度/平成31年7月改訂)
(4)『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
(5)『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
(6)『越谷の歴史物語(第二集)』越谷市史編さん室(昭和55年1月15日発行)
(7)『越谷市の史跡と傳説』越谷市教育委員会/越谷市文化財調査委員会(昭和35年4月15日)
(8)『越谷市史一(通史上)』越谷市役所(昭和50年3月30日発行)