久伊豆神社
12時30分。越ヶ谷久伊豆神社に到着。入口に張られている注連縄から先が神域。久伊豆神社といえば長い参道。長さはおよそ500メートル(正確には475メートル)。ちなみに越谷市には久伊豆神社が八社ある。
神職さんによる見どころ案内
社務所の前で、神職の小林さんが出迎えてくれた。本ツアーでは、小林さんが久伊豆神社の見どころを案内してくださる。
当社の創建年代は不詳ですが、社伝によると平安時代末期の創建と伝えられています。当社は、徳川将軍家ともゆかりがあることから、徳川家だけに使用を許された葵の御紋・右離れ立葵(みぎはなれたちあおい)を社紋としています。
ちなみに久伊豆神社の主祭神はオオクニヌシノミコトとコトシロヌシノミコトの二柱。
三間社流造
本殿の脇に移動。案内役の小林さんが個人的にいちばん好きだという位置から社殿を拝む。江戸後期・寛政元年(1789)に建立された三間社流造(さんげんしゃながれづくり)のきらひやかな神殿。随所に施されている精巧な彫刻には目を奪われる。
平田篤胤奉納大絵馬
続いて本殿の裏手へ。
玉垣に、古事記の天岩戸(あまのいわと)開きを題材にした絵馬額のレプリカが架けられている。この天岩戸の図(あまのいわとのず)は、江戸後期・文政3年(1820)に、国学者の平田篤胤(ひらたあつたね)が久伊豆神社に奉納した絵馬額「天岩戸開之図」の複製。
平田篤胤は越谷とは縁が深い人で、越谷には篤胤の門人も多く、門人のひとりである越ヶ谷宿の豪商・山崎長右衛門(※3)は、金銭的な援助のほか、篤胤の三番目の妻おりせの仲立(なかだち)もしています。
※3 山崎長右衛門(やまざき・ちょうえもん)は、「油長」(あぶらちょう)という屋号で油商を営み財をなした。本ツアーで立ち寄った油長内蔵(まち蔵カフェ)は、山崎家が代々所有してきた内蔵。
足止めの狛犬
拝殿の両端に、足を麻縄でしばられた、江戸中期・享保7年(1722)造立の狛犬が置かれている。(上の写真は拝殿に向かって右端に置かれている狛犬)
この狛犬は「足止めの狛犬」と呼ばれ、この狛犬の足を麻縄でしばって願をかけると、不思議に家出人が帰ってきたり、悪所通いで家庭を顧みない者が外に出なくなると言い伝えられている。
狛犬の足に結ぶ麻縄は「足止めの麻」といわれて、幾重にもしばられているので、願をかけに訪れる人々が絶えないことを物語っている。
ここ二年ほど、コロナ禍の影響でしょうか、外出をする人が減ったせいか、足止めの縄の数が、例年に比べると、かなり少なくなっています。
三ノ宮卯之助銘の力石
拝殿と参集殿の間にあるのは、越谷市の有形文化財(歴史資料)に指定されている「三ノ宮卯之助銘の力石」(さんのみやうのすけめいのちからいし)。力石とは力比べや体を鍛えるために使われた石のこと。
三ノ宮卯之助は、現・越谷市三野宮の出身で、力持ちを見世物として諸国を興行して歩いた業師である。日本一の力持ちとうたわれた。
この力石は卯之助が24歳のときに持ち上げたものといわれています。重さは50貫目。約190キロあります。
参拝
ツアー参加者みんなで参拝。それにしても今日の空は絵に描いたような秋空だ。じつにすがすがしい。秋空の下、鎮座している神殿も神々しい。見渡すや只秋の空秋の雲(正岡子規)
続いて参集殿に移動。
懸仏とご対面
先ほど訪れた中町浅間神社での懸仏(かけぼとけ)の話を覚えていますか? じつは浅間神社の懸仏は、久伊豆神社に保管されているんですよ。
この懸仏もプリティさんのおすすめ穴場スポット。懸仏は、参集殿内にある展示コーナーのいちばんすみっこに展示されていた。
丸い木型に富士山をかたどった銅板が貼られ、富士・浅間神の本地仏である大日如来像が取り付けられている。こうした懸仏は越谷市内には例がなく、「富士山大日如来像懸仏」の名で、越谷市の文化財に指定されている。
蓮の花が見えますか?
「富士山の麓(ふもと)の部分をよく見てください。蓮の花が彫刻されています」と、神職の小林さん。ホントだ、蓮の花が見える。彫工が遊び心で彫ったのかもしれませんね。
さらに、驚くような話を小林さんがしてくれた。
じつは最近、この懸仏を大学の研究機関で調査してもらったところ、この懸仏は富士山の火口の中に納められていた可能性がきわめて高い、ということが判明しました。
ホントですか?これはびっくり。驚き桃の木山椒の木。
移動|おなかがすいた
案内をしてくれた神職の小林さんにお礼を述べて、久伊豆神社をあとにした(小林さん、ありがと~)。次の訪問先は、昼食をいただく「そば処 久伊豆」(ひさいず)。時間は午後1時。時計を見たら急におなかがすいてきた。