中町浅間神社

中町浅間神社

11時20分。中町の鎮守・浅間神社(せんげんじんじゃ)に到着。かつて越ヶ谷町は、本町(ほんちょう)中町(なかまち)新町(しんまち)の行政区に分かれていて、各町に鎮守社があった。本町は神明社、中町は浅間神社、新町は八幡神社。

ケヤキ

ケヤキ

浅間神社のケヤキは推定樹齢600年。樹高は約23メートル。越谷市内でいちばん大きなケヤキで、越谷市の天然記念物にも指定されている。

懸仏

中町浅間神社|境内

中町浅間神社の創建年代は不詳だが、「(室町時代の)応永32年(1425)に奉納された」との銘がある「懸仏」(かけぼとけ)が残されている。
 
この懸仏、プリティさんおすすめの穴場スポットのひとつなんです。

プリティワンダフルさとしさん

現在、懸仏は別の場所に保管されています。のちほと懸仏の実物をお見せしますから、お楽しみに!

日光街道越ヶ谷宿

日光街道越ヶ谷宿

中町浅間神社の参拝を終え、旧日光街道に戻って信号を左折。越ヶ谷宿に入る。昔ながらの商家や土蔵造りのしもた屋(かつては商家であっったが商売をやめた家)が点在し、宿場町のたたずまいが残っている。

木下半助商店

木下半助商店

木下半助商店(きのしたはんすけしょうてん)。なつかしい対面式の店構えが残っている現役の金物屋。平成27年(2015)に、国の有形文化財(建築物)に登録された。

小泉家

小泉家

小泉家(こいずみけ)。今は、格子戸構えのしもた屋になっているが、江戸時代は塗師屋(ぬりしや)の屋号で呉服商を営む豪商だった。主屋は明治32年(1899)築、土蔵は明治8年(1875)築。

土蔵

土蔵

土蔵は、芋金火事(いもきんかじ)と呼ばれる明治32年の大火でも燃えなかった。土蔵の横にあるレンガ造りの防火壁は越ヶ谷宿の歴史を伝える貴重な史料ともいえる。

鍛冶忠商店

鍛冶忠商店

鍛冶忠商店(かじちゅうしょうてん)。明治33年(1900)に建てられた蔵造りの建物が目を引く日用雑貨店。懐かしい箒(ほうき)や便所紙のほか金属製の湯たんぽなども売られている。

会田金物店

会田金物店

会田金物店(あいだかなものてん)。明治38年(1905)前後に建てられた宿場町の面影を残す建物だ。今ではほとんど手に入らない大工道具なども置いてあるので、遠方から買いに来る客も多いと聞く。
 
よく見ると、道路に対して建物が斜めに配置されている。これは馬をつなぎとめておく馬留(うまどめ)のスペースを確保するため。お客さんが馬に乗って買い物にきた当時がしのばれる。

はかり屋

はかり屋

11時30分。はかり屋に着いた。秤屋(はかりや)の屋号で秤商を営んでいた旧・大野邸の屋敷(明治38年〈1905〉築)を改修し、平成28年(2016)に、古民家複合施設として再生。テレビや雑誌でも紹介され、越ヶ谷宿のランドマーク的な存在になっている。

遊佐農場

遊佐農場

敷地のいちばん奥にあるのは遊佐農場(ゆさのうじょう)。農薬や化学肥料を使わない野菜が評判。旬の野菜を配達してくれる宅配サービスも行なっている(要予約)

越谷麦茶

越谷麦茶を越谷まるこWAONカードで購入

無農薬栽培された越谷産の六条大麦を使った「越谷麦茶」というのがおいしそうだったので買った。今回のツアーでは、越谷の加盟店で使える「越谷まるこWAON」カードが無料進呈されたので、「越谷まるこWAON」カードを使って、まるこポイントも付与してもらった。

omoté

omoté|はかり屋

遊佐農場の次におじゃましたのが omoté (おもて)。「上質な日常」をコンセプトに、さまざまな商品やライフスタイルを提案しているだけあって、陳列されている商品はどれも洗練されている。
 
スタッフの方が、omoté の理念や、はかり屋の歴史などについて話をしてくれた。プリティさんの髪型はモヒカンで特徴的だが、この女性スタッフの髪型もまた個性的。二人の髪型ばかりに目がいって、説明がいまひとつ頭に残らなかった。

よい旅を

よい旅を

omoté を出て、はかり屋をあとにした。「よい旅を」と、omoté の女性スタッフが見送ってくれたが、どうもなんだか最後まで髪型に視線がいってしまった。上質な日常をコンセプトにしているだけあって、髪型もファッションも洗練されている。

市神神明社|本町の鎮守

よい旅を

はかり屋の並びにある神社は本町の鎮守・神明社(市神神明社・市神社とも呼ばれる)。かつては大沢橋のたもにあったが、道路の拡張工事のために、ここに移された。

糀屋

糀屋

続いて、糀屋(こうじや)を訪れた。
 
糀屋の屋号で麦味噌づくりを営んでいた味噌醸造販売店の蔵を改装して、2020年(令和2年)5月に「糀屋 本のある蔵」としてオープンした。一階は読書も楽しめるカフェスペース、二階は多目的ギャラリースペースになっている。
 
越谷の史跡調査に訪れていた、文教大学の学生さんたちと鉢合わせ。糀屋の見学は、学生さんたちに譲って、われわれ一行(いっこう)は次に向かった。

移動|御殿町へ

元荒川右岸側土手道|越谷市御殿町

元荒川に架かる大沢橋の手前の信号・越ヶ谷本町を右折。元荒川橋手前の横断歩道から足立越谷線(県道49号線)を渡って、元荒川右岸の土手道を進む。このあたりの住所は越谷市御殿町(ごてんちょう)になる。

越谷御殿跡

越谷御殿跡

越谷御殿跡に到着。プリティさんが解説をしてくれた。

この場所は、

徳川家康が、江戸前期・慶長9年(1604)に建てた御殿(ごてん)の跡地です。越谷での鷹狩りが好きだった家康は、この御殿を休憩所や宿泊所としました。2代目の秀忠は 1か月も滞在しています。
 
江戸前期・明暦3年(1657)の江戸大火で江戸城が焼失したため、越ヶ谷御殿は、将軍の仮の居城として、江戸城二の丸に移されました。
 
御殿の跡地は畑地として開発され、現在に至っています。当時の御殿の広さは、現在の御殿町のほぼ全域と推定されています。

現在、御殿をしのぶものは何も残っていないが、「御殿町」(ごてんちょう)という町名だけが、当時の名残をとどめている。

逆川と元荒川の伏せ越し

逆川

越ヶ谷御殿跡碑のうしろに見える用水路は葛西用水。通称・逆川(さかさがわ)
 
逆川は、古利根川(ふるとねがわ)の松伏溜井(まつぶしためい)を起点に、元荒川へと水路が続いているが、元荒川に合流するのではなく、元荒川の下をくぐって(※1)さらに水路が続いている。

※1 川と用水路が交差する場所で、用水路を川に注ぐのではなく、川底をくぐらせるための工法を伏せ越し(ふせごし)という。伏せ越し工法とも呼ばれる。

伏せ越しの堰

伏せ越しの堰

対岸に小さく見える伏せ越しの堰(せき)(上の写真の黄色い○印内)から逆川は元荒川の下をくぐる。この場所では、元荒川の下を逆川(葛西用水)が流れている。川と用水路の立体交差点といったところか。

建長元年板碑

建長元年板碑

越ヶ谷御殿跡の50メートルほど先にある建長元年板碑(けんちょうがんねんいたび)。越谷市に現存する市内最古で最大の板碑(※2)で、鎌倉時代中期・建長元年(1249)の銘がある。越谷市の有形文化財(考古資料)にも指定されている。

※2 板碑とは、鎌倉・室町時代にかけて盛んに造られた石造りの供養塔=卒塔婆(そとば)のこと。板状の平たい石で造られたことから板碑と呼ばれている。板石塔婆(いたいしとうば)ともいう。

稲荷神社

稲荷神社

板碑の並びにある小さな社(やしろ)は稲荷神社。創建年代は不詳。御殿町ゆかりの神社で、明治20年(1887)ごろまでは、徳川三代将軍・家光の書いた額があったが、盗難にあって今はない。

宮前橋

宮前橋|親柱

続いて訪れたのは、元荒川に架かる宮前橋(みやまえばし)。現在は鉄筋コンクリートの橋になっているが、かつては寺橋と呼ばれた木造の橋だった。橋を渡ると越ヶ谷久伊豆神社と天嶽寺の参道前に出る。

かつて橋の下は遊泳場だった

宮前橋

宮前橋は、プリティさんおすすめの穴場スポット。

プリティワンダフルさとしさん

今はまったく面影はありませんが、なんと、昭和30年代ごろまでは、宮前橋(寺橋)の下は夏になると、公式の水泳場(寺橋水練場)になって、多くの子どもたちや親子連れでにぎわいました。


多くの子どもたちや親子連れでにぎわった当時の寺橋水練場の写真をプリティさんが見せてくれた(お~、芋洗い状態じゃないですか)
 
昔は元荒川で泳げた、しかも遊泳場まであったとは驚きですね。プリティさん、宮前橋の知られざる逸話、ありがと~