大杉稲荷神社

境内社

続いて境内社を紹介する。境内社は四社。

大杉神社

大杉稲荷神社|境内社

鳥居の手前、鳥居に向かって右手(参道入口)にあるのは大杉神社。
 
境内社の大杉神社について、越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は次のように述べている。

鳥居に向かって右側の手前に、地元の地名(大杉)と同名なためか、茨城県の桜川村にある大杉神社の神様(アンバ様、アンバ天狗)を分祀した祠がある。
 
地元では「安武様」(あんぶさま、あぶさま)と呼んでいる。「アンバ」信仰は、川の航行安全と疱瘡(天然痘)除けを願うもので、(茨城県の)大杉神社を中心に利根川流域に広く分布していた。

※7 加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂「旧大杉村の石仏」51頁

かつては大杉神社が鎮守だった?

大杉稲荷神社|境内社

神社の創建当初、境内社の大杉神社が村鎮守だった可能性がある、という話が『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』(※8)に載っている。以下、引用・抜粋。

大杉の地名は、常陸国(ひたちのくに=茨城県)稲敷郡(いなしきぐん)から村鎮守として大杉神社を勧請(かんじょう)したことによるという。
 
当社(大杉稲荷神社)の境内にある大杉神社(阿波社=あばしゃ)が、この話に伝える「村鎮守」であったとするなら、村の開発当初は大杉神社が鎮守であったが、村の発展によって、稲荷神社が鎮守として新たに勧請されたという経緯が考えられる。
 
しかし、大杉神社に関する古記録がないため、詳細は不明である。

※8 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「大杉稲荷神社」1112頁

雷電社と榛名社

雷電社と榛名社|境内社

拝殿に向かって右手(参道の右側)、力石の隣に境内社が二社並んでいる。向かって左が雷電社(らいでんしゃ)、右が榛名社(はるなしゃ)

天神社

天神社|境内社

拝殿に向かって左手(参道の左側)にある境内社は天神社。
 
江戸後期に幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』「大杉村」の項にある、「稲荷社 村の鎮守なり、末社 香取 天神」(※9)の「末社 天神」は、この天神社のことと思われる。

※9 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「大杉村」181頁

社殿

拝殿

拝殿|大杉稲荷神社

拝殿は、銅板葺き屋根の格子戸づくり。それほど大きくはない。黄色い外壁が目をひく。屋根には、左三つ巴(ひだりみつどもえ)の神紋がみられる。

本殿

本殿|大杉稲荷神社

本殿の様式は流れ造り。江戸後期・天保11年(1840)に再建された(※10)。小さいながらも厳かな雰囲気がただよっている。

※10 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「大杉稲荷神社」1112頁

大杉稲荷神社の調査報告は以上

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大杉自治会館

大杉稲荷神社の裏手に、大杉自治会館があるが、ここは、浄閑寺(じょうかんじ)と称された寺院の跡地。片隅の万年塀沿いに供養塔や墓塔がまとめられているが、この石塔群については別記事で紹介している。

場所

大杉稲荷神社|越谷市大杉

大杉稲荷神社の住所は、埼玉県越谷市大杉74( 地図 )。郵便番号は 343-0802。場所は、大杉公園通り沿いの川崎神社から北西100メートル。川崎神社と清浄院の中間地点にある。

参考文献

本記事を作成するにあたっては、関係書籍や調査報告書も参考にした。参考にした文献を以下に記す。引用した箇所については記事中に引用箇所を明記した。

参考文献

加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂(越谷市立図書館蔵)
埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青砥書房(2011年4月1日発行)
外山晴彦・『サライ』編集部編『神社の見方』小学館(2002年8月10日発行)