共同墓地|二股道
砂利道を抜けると、舗装された道が左右に延びていて、左手の二股道の角地に、生け垣に囲まれた小さな墓地が見える。
青面金剛像庚申塔|宝暦4年
墓地の生け垣の外側で、生け垣にもたれかかるようにして建っているのは面金剛像庚申塔。 江戸中期・宝暦4年(1754)造立。石塔型式は駒型。
正面中央は、浮き彫りされた主尊の青面金剛像。姿は六手合掌型。最頂部に青面金剛を表わす梵字・ウーン。青面金剛の下に、二鶏・邪鬼・三猿が陽刻されている。左側面には「宝暦四戊天十一月吉日」「武州小曽川村講中」とある。
「越谷型」青面金剛庚申塔
NPO法人越谷市郷土研究会・副会長の秦野秀明氏は、この庚申塔は「『越谷型』青面金剛像庚申塔」であると述べている。(※3)
※3 秦野秀明「越谷型青面金剛像庚申塔」(http://koshigayahistory.org/762.pdf)2022年10月21日閲覧.
「越谷型」青面金剛像庚申塔の特徴は、①合掌している。②左上手でショケラと呼ばれる女人の髪をつかんでいる。③青面金剛に踏みつけられている邪気(じゃき)が正面を向いている。④享保19年(1734)以降の造立。⑤邪気の下の三猿は、中央の猿以外、左右の猿が正面を向いていない…の五つ。
「越谷型」青面金剛像庚申塔については、秦野氏が「越谷型青面金剛像庚申塔」で詳しく論考している。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/762.pdf
石塔群
正目金剛像庚申塔の裏手、生け垣の内側には、首のない地蔵像など、数基の石塔が並べられている。
秩父講供養塔
左端は秩父講供養塔。江戸中期・安永7年(1778)造立。石塔型式は櫛型。正面中央に観音菩薩立像が浮き彫りされている。主銘は「秩父講中供養」。脇銘は「安永七戊戌十月吉日」「小曽川村願主」。
願主の名前が「藤井文左衛門内」とあるので、藤井文左衛門の内義(ないぎ=妻)が願主となって建立した供養と思われる。
昭和54年に発行された『越谷ふるさと散歩(上)』(※4)では、この供養塔について、「先祖の眠る墓地を身近にして生きてきた村民の敬虔(けいけん)な心情がしのばれるようである」と、描写している。43年が過ぎた今もその光景は変わらない。
※4 『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)「野島と小曽川の集落」165頁
共同墓地をあとに舗装道路を南東に進む。
移動|古道
小曽川を南北につらぬくこの道は、昔からある古道で、現在はややひろい舗装道になっている。
ビニールハウス
道を進むとビニールハウスや畑地が続く。このあたりはビニールハウス栽培がさかんなようだ。
暗渠
道の左側は暗渠(※5)になっていて、その下を用水が流れている。
※5 暗渠(あんきょ)…蓋をして外からは流れが見えなくなっている川や水路のこと。土の中に埋められてしまって水路跡だけが残っている場合も暗渠と呼ぶ。
丁字路
250メートルほど歩くと丁字路にぶつかる。左へ行くと、元荒川堤防下に広がる畑地に出るが、今は畑地の一画にあるビニールハウスのいちご農園(ストロベリーガーデンおぎしま)が人気になっている。
丁字路を右に折れる。
馬頭観音文字塔
道ばたに石塔がぽつんと建っている。石塔の前を流れている水路は蓋をされているので暗渠(あんきょ)、石塔の先を左右に流れている用水は蓋をされていないので開渠(かいきょ)と呼ぶ。
正面
正面中央に「馬頭観世音」と刻まれている。石塔型式は頭部山状角型。脇銘は「明治二十五年」「八月二十三日」とある。
側面
左側面に「大正七年九月二十七日」のほか建立者の名前が確認できる。この馬頭観音文字塔は、明治25年(1892)に造塔されたものを大正7年(1918)に再建したものか。
移動|丁字路
馬頭観音文字塔を過ぎて、100メートルほど先にあるある丁字路を左へ曲がる。50メートル前方の角地、道路反射鏡(カーブミラー)の下に、小さな赤い屋根の祠と石塔が見える。
庚申塔と小祠
石塔は庚申塔で、祠の中には何も入っていない。
昭和54年に発行された『越谷ふるさと散歩(上)』(※6)に、この庚申塔と祠について、「道の端に屋根囲いの祠があり、中に元禄5年(1692)の青面金剛庚申塔が納められている」とあるので、もともとは祠の中に庚申塔が納められていたと思われる。
※6 『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)「野島と小曽川の集落」167頁
青面金剛像庚申塔|元禄5年
庚申塔の石塔型式は駒型。江戸中期・元禄5年(1692)造立。正面最頂部に「日月」、中央に「青面金剛像」、その下に邪鬼と三猿が陽刻されている。脇銘は「奉供養庚申講衆現世安楽」「小曽川村」「願主七人」「元禄五壬申年九月今日」とある。
さんのう様
越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏は、この庚申塔について、「地元では『さんのう様』(山王様のことか)と呼ばれている。山王様の使いの猿が刻まれている庚申塔があるからだろう」(※7)と述べている。
※7 加藤幸一「荻島地区の石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館蔵)「旧小曽川村の石仏」42頁
移動|越谷岩槻線へ
庚申塔をあとにして越谷岩槻線(埼玉県道48号)に向かう。道ばたに咲くノゲシが見送ってくれた。
用水路
小道の脇を用水路が流れている。用水路は蓋をされて暗渠(あんきょ)になっているよりも、こうして水の流れを眺められるほうが趣がある。
ビニールハウス
右手はビニールハウス。正面前方に越谷岩槻線が見える。雲におおわれていた空に青空が広がってきた。日差しも強くなりそうだ。