2024年12月31日。越谷市宮本町二丁目にある薬師堂(宮本町二丁目集会所)の境内に並んでいた四基の石仏が堂舎裏手に撤去されていた。かつての写真とともに当時の面影をしのぶ。

薬師堂|宮本町二丁目集会所

薬師堂|宮本町二丁目集会所

2020年5月30日撮影

薬師堂のある宮本町二丁目集会所の場所は、越谷健美の湯の北北西100メートル( 地図
 
2020年5月30日に取材に行ったときは、鞘堂(さやどう)の下に、四基の石仏と御手洗石(みたらいいし)が並んでいた(上の写真)

鞘堂に並んでいた石造物

鞘堂の石仏

2020年5月30日撮影

鞘堂に並んでいた石造物は、

  1. 青面金剛像庚申塔…宝暦6年(1756)銘
  2. 六地蔵塔…寛政9年(1797)銘
  3. 青面金剛像庚申塔…文政10年(1827)銘
  4. 文字庚申塔…文化6年(1809)銘
  5. 御手洗石…嘉永3年(1850)銘

どの石造物も保存状態がよかった。

不動明王文字塔

不動明王文字塔

2020年5月30日撮影

鞘堂の裏手には、明治27年(1894)造塔の不動明王文字塔が建っていた。

石造物が撤去された境内

薬師堂|宮本町二丁目集会所

2024年12月31日撮影

鞘堂と石造物が撤去された境内は、殺風景になってしまった。

石仏は堂舎裏手に撤去

撤去された石仏

2024年12月31日撮影

鞘堂に並んでいた 4基の石仏は、薬師堂(堂舎)の裏手に、まとめて横向きに倒されて置かれていた。捨てられてしまった、という感は否めないが、廃棄されなかっただけよしとするべきか……。

撤去された石仏四基

撤去された石仏

  1. 青面金剛像庚申塔…宝暦6年(1756)銘
  2. 六地蔵塔…寛政9年(1797)銘
  3. 青面金剛像庚申塔…文政10年(1827)銘
  4. 文字庚申塔…文化6年(1809)銘
御手洗石と不動明王文字塔は不明

御手洗石と不動明王文字塔は見あたらなかった。廃棄されたのか、別の場所に移されたのかは、不明。御手洗石と不動明王文字塔はどうなかったのかは、今後、調査してみる。

今昔写真

宮本町・薬師堂|今昔写真

薬師堂境内の今昔写真。
 
上の写真は、2020年5月30日撮影。境内には、鞘堂の石仏群と、鞘堂裏手に不動明王文字塔があった。下の写真は、2021年12月31日撮影。鞘堂の石仏群と不動明王文字塔は撤去されてしまった。
 
石仏のある風景が見られなくなってしまったのは寂しいかぎりだ。

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薬師堂の境内にあった石造物については別記事で紹介している。