越谷市新越谷一丁目の出羽堀と赤山街道が交差する角地にある供養塔(通称・三ッ谷地蔵)を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。

三ッ谷地蔵

三ッ谷地蔵|越谷市新越谷一丁目

調査したのは 2024年9月14日。四本の丸柱に支えられた屋根の下に、地蔵尊が、すっぽりと収まっている。地蔵尊の下は供養塔。

形状と銘

地蔵尊

地蔵菩薩立像

石塔型式は舟型。江戸中期・享保6年(1721)建立。蓮台に乗った地蔵菩薩立像が、石塔の中央に、浮き彫りされている。地蔵尊は、左手に宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っている。

正面上部

地蔵尊の顔

地蔵尊の顔の部分(目・鼻・口)は劣化が進んでいて、のっぺらぼうのような表情になってしまっている。
 
石塔の最頂部に、地蔵菩薩を表わす種子(しゅじ)「カ」が刻まれている。
 
地蔵尊の頭光(ずこう)に、地蔵真言の「オン・カ・カ・カ・ビ・サンマ・エイ・ソワ・カ」「ダ」(終止符)の梵字が刻まれている。

背面

三ッ谷地蔵|背面

背面の中央には金剛界五仏(※1)を表わす梵字「バン・ウン・タラーク・キリーク・アク」が刻まれている。

※1 密教の五つの知恵(五智)を表わす五人の如来。五智如来(ごちにょらい)ともいう。①バン…大日如来②ウン…阿閦(あしゅく)如来③タラーク…宝生(ほうしょう)如来④キリーク…阿弥陀如来⑤アク…不空成就(ふくうじょうじゅ)如来

左側面

三ッ谷地蔵|左側面

左側面から見た三ッ谷地蔵。奥に見える店舗は、はま寿司・越谷七左店。地蔵尊の前の道は赤山街道。

右側面

右側面から見た地蔵尊。横断歩道の先に、ワークマン越谷谷中店が見える。横断歩道のある道路は暗渠(※2)になっていて、下を左(西北西)から右(東南東)へ出羽堀が流れている。

※2 暗渠(あんきょ)とは、地下に埋設したり、ふたをかけたりした水路のこと。

続いて、供養塔に刻まれた「銘」を見ていく。

供養塔

地蔵尊の下の角柱型の石塔は供養塔。

正面

供養塔|正面

正面の最頂部中央に梵字「ア」。その下の銘は「法師覚心不生位」。「本不生位」(ほんぶしょうい)とは、真言宗の僧侶に多くみられる位号。この石塔は「覚心法師」という僧侶の供養塔である。覚心法師については後述。

右側面

供養塔|右側面

右側面の最頂部中央に梵字「アー」。梵字の下に刻まれている銘文は以下のとおり(実際の銘文は縦書き)
 
夫逆修善根者修善中之
□□也現在生殖菩提樹
□来祈無土之覚□誠茲
七分全得之自業小因大
果之巨益也依之施主喜捨

左側面

供養塔|左側面

左側面の最頂部中央の梵字は「アク」。字の下に刻まれている銘文は以下のとおり(実際の銘文は縦書き)
 
五慾之財録證得六大無
□之月□乃至自他法界
平等利益
享保六歳次辛丑霜月廿日
願主 覚心
 
この銘文から、江戸中期・享保6年(1721)に覚心法師が願主として、この地蔵(三ッ谷地蔵)を建立したことがわかる。覚心法師については後述。

背面

供養塔|背面

背面の頂部中央に梵字は「アン」
 
供養塔の四面に刻まれている梵字「ア・アー・アン・アク」は、大日如来の慈悲を表わす胎蔵界(たいぞうかい)の四方を守護する如来(胎蔵界四仏)の種子(しゅじ)

胎蔵界四仏

「ア」…宝幢如来(ほうどう)。大日如来の北を守る
「アー」…開敷華王(かいふけいおう)。大日如来の南を守る
「アン」…無量寿(むりょうじゅ)。大日如来の西を守る
「アク」…天鼓雷音(てんくらいおん)。大日如来の北を守る

備考

供養塔の銘は劣化により読みとれない箇所も多々あった。正確を期すために、本記事で紹介した銘については、加藤幸一「出羽地区石仏」(※3)に従った。

※3 加藤幸一「出羽地区石仏」平成15年度調査/平成28年4月改訂(越谷市立図書館蔵)42-43頁

名前の由来