越谷今昔20景
【11】小曽川の庚申塔群
【12】七左町下組稲荷神社
【13】西新井・五才川の農道
【14】越ヶ谷久伊豆神社
【15】大袋駅地下通路
【11】小曽川の庚申塔群
越谷市小曽川・久伊豆神社脇にある農道の庚申塔群の新旧写真。
上段の白黒写真は45年前、昭和54年(1979年)ごろの写真。下段は、2023年12月7日に撮影したもの。
庚申塔群の位置と、農道前方右手の屋敷林は、当時の面影を残している。
【12】七左町下組稲荷神社
白黒写真は、今から81年前、昭和18年(1943年)ごろに七左町下組稲荷神社の境内で撮影された子どもたちの集合写真。現在の住所表記は新越谷一丁目。
昭和18年は、太平洋戦争開戦から2年、日に日に戦局が悪化していった時期だ。写真に写っている子どもたちは、生きていれば、現在、83歳から90歳前後になっている。
戦時中の子どもたちの姿を知る貴重な写真だ。
下の写真は、2024年9月13日に撮影した同じ場所からの風景。
写真右端の「震災復興記念碑」は当時と同じ場所に建っている。震災復興記念碑は、関東大震災で倒壊した拝殿・社務所の再建を記念して建立された。鳥居の位置もほぼ同じ。
【13】西新井・五才川の農道
白黒写真は、昭和50年(1970年)代に撮影されたと思われる西新井と岩槻釣上新田の境を流れる五才川と農道(岩槻道)の風景。下の写真は、2024年10月13日に撮影した同じ場所からの風景。
五才川と農道(岩槻道)をはさんで、左手が、さいたま市岩槻区釣上新田。右手が越谷市西新井。
西新井の田園風景は、50年前と変わっていない。越谷の原風景を今に残す。
【14】越ヶ谷久伊豆神社
上の白黒写真は、今から68年前、昭和31年(1956年)12月22日に撮影された、越ヶ谷久伊豆神社の拝殿。当時は草葺きの屋根だった。
現在
こちらの写真は、2024年9月6日に撮影した同じ場所からの風景。拝殿の姿はすっかり変わってしまった。
今昔
神々しさは今も昔も変わらない。
【15】大袋駅地下通路
上の白黒写真は、今から50年前、昭和49年(1974年)9月に、東武伊勢崎線・大袋駅の東西を連絡する地下通路が新設されたときの風景(東口側)。左端の女性がはいているミニスカートは当時の人気ファッションだった。
現在
こちらの写真は、2024年10月17日に撮影した同じ場所からの風景。現在は、階段には手すりが設けられ、壁には採光窓が、はめ込まれている。今も利用者は多い。まだまだ現役だ。
今昔
将来、大袋駅が高架線になったときには、地下通路は取り壊されるので、この二枚の写真は、貴重な資料になると思われる。