遠い昔から時代の移ろいに身をまかせ、人々の願いやご先祖様の思いを語りかけてきた名もなき石仏。人目にふれることもなく、無縁墓の墓石のすき間から、今にもくずれそうなお顔をのぞかせ、土に還る日を静かに待っているかのようなお姿も見られる。地蔵菩薩・如意輪観音・聖観音…。越谷の路傍でふっと出合ったあえかなお顔の石仏を写真に収めた。(写真は随時追加)

地蔵菩薩

地蔵菩薩立像|清涼院墓地(越谷市増林)

地蔵菩薩立像(丸彫り像)|清涼院墓地(越谷市増林)

地蔵菩薩は「お地蔵さま」「お地蔵さん」の名で親しまれてきた。丸い頭で、法衣(ほうえ)をまとい、右手に錫杖(しゃくじょう=頭部に数個の輪が付いている杖)、左手に宝珠(ほうじゅ=宝の玉)をもつ姿がもっとも多い。合掌像がこれに次ぐ。
 
現世利益(げんせりやく=信仰によって受けるこの世での幸せ)のほか、死後の世界で、地獄の責め苦を身代わりとして引き受けてくれると信じられ、庶民の間に地蔵信仰が広まっていった。冥土(めいど=死者が行く世界)で亡者(もうじゃ)を救ってくれるという功徳は、子どもを亡くした親たちの信仰を集め、子どもを守ってくださる仏として、子どもと地蔵との関係は密接なものとなった。子どもの墓石に地蔵が多く彫られているのもこの信仰による。
 
越谷市内でも地蔵像はきわめて多い。中でも子どもの墓石として建てられているものが目立つ。古い墓地には「童子」や「童女」など夭折(ようせつ)した子どもの戒名とともに地蔵像が陽刻されている墓標が数多く見られる。

浄山寺|合祀塚の地蔵尊

地蔵菩薩|浄山寺・合祀塚の地蔵尊

地蔵菩薩|浄山寺・合祀塚の地蔵尊

浄山寺の合祀塚内(越谷市野島32-32)。ともに年代不詳(おそらく江戸中期)。二基とも子どもの墓石。亡き子を思い香華(こうげ)を手向けた日は彼方に過ぎ去り、今はひっそりと存在の証だけを残している。

会田家歴代の墓所|地蔵菩薩

地蔵菩薩|会田家歴代の墓所

会田家歴代の墓所(越谷市神明町)。年代不詳。

丸彫り地蔵菩薩|個人墓地

丸彫り地蔵菩薩|神明町の個人墓地

丸彫り地蔵菩薩(神明町の個人墓地)。年代不詳。顔も姿も風化しているが、端正な目鼻立ちはいまだ健在。

慈眼寺跡の共同墓地|小曽川

丸彫り地蔵菩薩|慈眼寺跡の共同墓地(越谷市小曽川)

百堂巡礼塔に浮き彫りされた地蔵像。江戸前期・寛文2年(1661)造立。場所は越谷市小曽川(おそがわ)慈眼寺(じげんじ)跡の共同墓地

延命地蔵|徳蔵寺

延命地蔵|徳蔵寺(越谷市大吉)

延命地蔵~徳蔵寺の六地蔵(越谷市大吉)。安らかなお顔は平穏に満ちている。

如意輪観音

如意輪観音座像|観照院墓地(越谷市七左町)

如意輪観音座像(墓石)。江戸中期・正徳3年(1713)造立|観照院墓地(越谷市七左町)

片膝を立て、頬杖(ほおづえ)をついたような姿の如意輪観音(にょいりんかんのん)は、江戸中期以降、女性から熱烈な信仰を受けた。十九夜・二十三夜など月待(つきまち)の本尊として取り入れられたほか、女性の墓標仏としても広く造立されている。越谷市内でも如意輪観音が彫られた月待塔をはじめ「信女」「大姉」「禅定尼」などの戒名とともに如意輪観音が浮き彫りされた女性の墓石が多く見られる。

浄山寺|合祀塚の如意輪観音

如意輪観音|浄山寺・合祀塚の如意輪観音

越谷市野島・浄山寺の合祀塚。江戸中期・享保19年(1734)造立。戒名には「信女」とある。肩を寄せ合って並んでいる墓石の隙間でかすかに微笑んでいるようにも見えるお顔はまさにあえか。(※1)

※1 あえか…美しくはかなげなさま。与謝野晶子の歌に「冬枯の木立あえかになまめかし後(うしろ)に朝の歩み寄る時」とある。

神明町の個人墓地

如意輪観音|神明町の個人墓地

越谷市神明町の個人墓地。女性の墓石に浮き彫りされた如意輪観音。江戸中期・元禄3年(1690)造立。330年の時を刻んだ端麗な面ざしは、やさしさに満ちあふれている。

慈眼寺跡の共同墓地路傍|小曽川

如意輪観音|越谷市小曽川・慈眼寺跡の共同墓地路傍

越谷市小曽川・慈眼寺(じげんじ)跡の共同墓地路傍にある如意輪観音像。江戸後期・文政9年(1826)造立。台石に「小曽川村 講中」のほか「願主 こん くめ」など女性の名前が刻まれているので、十九夜・二十三夜などの月待供養塔かもしれない。鼻が欠けてしまっているせいか、どことなく庶民的な女性に見える。

定使野共同墓地の如意輪観音墓石|花田二丁目

如意輪観音墓石|貞享5年

江戸前期・貞享5年(1688)年。ぱっと見、ちあきなおみに似ているような…

如意輪観音墓石|年代不詳

年代不詳。こけしのようなやさしいお顔

如意輪観音墓石|江戸中期

女性二名の戒名が刻まれている。江戸中期・延享3年(1746)冬玄童女。明和7年(1770)□誉智迎信女。二人は母娘だったのだろうか…。

如意輪観音墓石|正徳元年

江戸中期・正徳元年(1711)。物思わしげな面差しが、なんとも言えぬ安らぎを与えてくれる。