越谷今昔シリーズ第1弾。越谷市デジタルアーカイブに公開されている昭和の白黒写真と同じ場所を20カ所めぐって撮影。上下または左右に写真を並べて、昭和と令和の越谷の風景を比較していく。大半が様変わりしているが、昔と同じ風景もわずかに残っている。

越谷市デジタルアーカイブとは

昭和33年ごろの越谷駅前

※昭和33年ごろの越谷駅前(出典)越谷市デジタルアーカイブ

越谷市デジタルアーカイブとは、越谷市内の古い写真・地図・古文書など、越谷市が所有する多様な資料を無料で検索・閲覧できるWebサイト。2023年8月に越谷市公式ホームページ内に公開された。

越谷市デジタルアーカイブの URL を以下に示す。
https://adeac.jp/koshigaya-city-digital-archives/

注意

本記事で使用している白黒写真の出典はすべて越谷市デジタルアーカイブで、転載が許可されている写真だけを使用した。

越谷今昔20景

【01】赤山踏切

赤山踏切の今昔

白黒写真は、今から53年前、昭和46年(1972年)4月に撮影された、越谷駅の北北西100メートルにあった「赤山踏切」(赤山街道と東武伊勢崎線が交わる踏切)の朝の風景。
 
当時、赤山踏切は開かずの踏切として問題になっていた。
 
下の写真は、2024年7月19日に撮影した同じ場所からの風景。
 
今は、東武伊勢崎線は高架になり、越谷駅西口もでき、53年前の景色とは一変した。唯一、面影を残しているのは、赤山街道の道幅ぐらいか。

【02】元荒川・東武線鉄橋

元荒川・東武線鉄橋の今昔

白黒写真は、今から45年ほど前、昭和50年代に撮影されたと思われる元荒川・東武線鉄橋(元荒川橋梁)ガード付近の風景。東武線が高架になる前。元荒川の先に見える橋は大沢橋。
 
下の写真は、2024年6月29日に撮影した同じ場所からの風景。
 
今は、鉄橋の横に歩道橋が架けられているので、同場所からは、大沢橋は歩道橋の下にわずかに見える程度。ガードの先に見える小島石材店は今も健在。
 
下の写真に見える小さな祠は、昔はもう少し上流側にあったので、白黒写真には写っていないが、元荒川緑道を整備するときに、今の場所に移された。

【03】寺橋水練場

寺橋水練場の今昔

白黒写真は、今から58年ほど前、昭和30年代(1966年ごろ)の夏に撮影された、元荒川・久伊豆神社前の寺橋(現・宮前橋)水練場の風景。
 
当時、元荒川に架かる寺橋(現・宮前橋)の下に、夏の時期、水練場が設営された。水練場は昭和40年代初頭に廃止。
 
下の写真は、2024年7月27日に撮影した同じ場所からの風景。
 
かつて宮前橋下の元荒川に水練場があって、夏は多くの子どもたちでにぎわったことを知る人も少なくなった。

【04】文教大学

文教大学の今昔

白黒写真は、昭和54年(1979)4月に撮影された、元荒川左岸側・出津橋西の土手道から望んだ文教大学。
 
下の写真は、2024年6月25日に撮影した同じ場所からの風景。白黒写真の右手、畑地にある梅の木が、45年たって、見事な大木になっている。

【05】恩間新田の千間堀

恩間新田の千間堀の今昔

白黒写真は、昭和45年(1970)ごろの恩間新田を流れる新方川(千間堀)の風景。下の写真は、2024年6月6日に撮影した同じ場所からの風景。
 
新方川(千間堀)右岸側の田園風景は、54年前と変わっていない。越谷の原風景を今に残す。

【06】民家と道路|宮本町