越谷市平方の南地蔵尊と二基の石塔(青面金剛像庚申塔・石橋供養塔)を現地で撮影した写真とともにお伝えする。
平方南地蔵尊
調査日は、2025年6月26日。屋根囲いの小屋の中に三基の石塔が置かれている。
『越谷ふるさと散歩(下)』によると「これらの石塔はもと竹林のもとに雨ざらしになっていたが、地元の人が最近(昭和47年〔1972年〕に)小屋を建ててこの中に収めた」(※1)という。
※1 越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)「女帝神社」55頁
三基の石塔
今回、調べた石塔は以下の三基
- 地蔵尊|念仏供養塔
- 青面金剛像庚申塔
- 石橋供養塔
それでは順番に見ていく。
地蔵尊|念仏供養塔
向かって右端は、地蔵菩薩を主尊とした念仏供養塔。江戸前期・延宝元年(1673)造塔。石塔型式は舟型。
最頂部に梵字「ア」。中央に宝珠(ほうじゅ)と錫杖(しゃくじょう)をもった地蔵菩薩立像が浮き彫りされている。
地元(旧平方村南)では「南地蔵尊」(南の地蔵尊)と呼ばれている。
脇銘
脇銘は「奉造立地蔵菩薩念仏講行五十人為二世安穏敬白」「延寳元癸丑年十月廿四日武州崎玉郡平方村」
銘から、この地蔵菩像は平方村の念仏講(ねんぶつこう)の構成員(講員)50人によって寄進されたことがわかる。
念仏を唱えることを目的とした信者の集まり。毎月当番の家や寺に集まって念仏を唱和し、食事や茶菓子を持ち寄り、親睦も兼ねた。村内で死者が出た場合には、講員が葬家に行って弔いのための念仏を唱えたりもした。
平方南の念仏講
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、平方南の念仏講について、次のように述べている。
地元(平方南)では、念仏講の信仰は今でも形を変えて地蔵盆の前日である八月二十三日に南自治会の住民が中心になって続いている。
八月二十三日の朝、南自治会に所属する老婦人がお地蔵様(南地蔵尊)を拝みにきて、地元で使用している『御念仏集』のうち地蔵念仏(南地蔵念仏)を唱えている。引用元:「桜井地区の石仏」(※2)
※2 加藤幸一「桜井地区の石仏」平成5・6年度調査/平成31年8月改訂(越谷市立図書館蔵)旧平方村の石仏「南の地蔵尊念仏供養塔」45頁
青面金剛像庚申塔
真ん中は、青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)庚申塔。江戸中期・正徳5年(1715)造塔。石塔型式は笠付き角柱型。
角柱の正面最頂部両端に瑞雲に乗った日輪と月輪。正面中央に青面金剛・邪鬼・二鶏・三猿が陽刻されている。
青面金剛
青面金剛は一面六臂(いちめんろっぴ=顔がひとつで腕が六本)の合掌型(※3)。持物は、左上手に法輪、左下手に弓、右上手に矛(ほこ)、右下手に矢。
※3 青面金剛像の多くは、腕が六本(六臂=ろっぴ)で、右手に剣を持ち、左手に「ショケラ」と呼ばれる人身を持つ剣人型(けんじんがた)と、中央の手が合掌している合掌型(がっしょうがた)の二種に大別できる。
邪鬼・二鶏・三猿
青面金剛に踏まれているのは邪鬼。正面を向いている。邪鬼の下は二鶏。向かって左がめんどり、右がおんどり。その下は三猿。向かって左から言わ猿・見猿・聞か猿。
左側面
左側面(向かって右側面)の最頂部に梵字「ヴァン」。銘は「于時正徳五乙未年十一月吉祥日」(于時は「ときに=時に」と読む)「武州平方村」「講中二拾人」
右側面
右側面(向かって左側面)には、寄進者20人の名前が刻まれている。
石橋供養塔
向かって左端は石橋供養塔(いしばし くようとう)。江戸中期・宝暦12年(1762)造塔。石塔型式は山状角柱型。
正面|上部
正面上部の銘は「南無阿弥陀仏」「浅草観世音」「四十八月参」(※3)
※3 月参(がっさん)とは、毎月一定の日に、社寺にお参りすること。「つきもうで」「つきまいり」とも呼ぶ。「浅草観世音」「四十八月参」は、浅草観音へのつきまいりを4年間(48回)続けたことの意。
正面|下部
正面下部の銘は主銘が「石橋建立供羪塔」(羪は養の異字体)。脇銘は「願主 信誉意覚」「村々 江戸 講中」
解説
正面に刻まれた銘について、越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は次のように述べている。
(この石橋供養塔は)日光道中から現在地に入るところに橋が架けられていた。ここに新たに石橋が建立されたことを記念し、これを造立(ぞうりゅう)した。
この石塔に刻まれた銘文(めいぶん)によると、造立したひとりである願主・信誉意覚は浅草観音に毎月参拝し、それを四年間も続けたという。江戸との人的交流がうかがえる。引用元:「桜井地区の石仏」(※4)
※4 加藤幸一「桜井地区の石仏」平成5・6年度調査/平成31年8月改訂(越谷市立図書館蔵)旧平方村の石仏「石橋供養塔」45頁
左側面
左側面(向かって右側面)の銘は「宝暦拾二壬午四月吉祥日」
右側面
右側面(向かって左側面)には「武州崎玉郡新方領平方村」と刻まれている。
言い伝え
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏によると、この石橋供養塔には言い伝えが残っているという。
江戸時代のこと。この地に架かっていた橋がもろいため荷馬車が馬もろとも川に落ちてしまった。馬は死んでしまった。そこでその馬を連れてきた江戸浅草の人が土橋を頑丈な石橋になおした。その記念にこの塔が建てられたという。
引用元:「桜井地区の石仏」(※4)
※4 加藤幸一「桜井地区の石仏」平成5・6年度調査/平成31年8月改訂(越谷市立図書館蔵)旧平方村の石仏「石橋供養塔」46頁
場所
女体神社の住所は、埼玉県越谷市平方1588( 地図 )。郵便番号は 343-0002。場所は、旧日光街道「武里駅入口」交差点から平方北通りを30メートルほど進んだ右手。
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参考文献
本記事を作成するにあたっては、関係書籍や調査報告書も参考にした。参考にした文献を以下に記す。引用した箇所については記事中に引用箇所を明記した。
加藤幸一「桜井地区の石仏」平成5・6年度調査/平成31年8月改訂(越谷市立図書館蔵)
秦野秀明(2020)「越谷地名大全」(https://koshigayahistory.org/201231_koshigaya_chimei_h_hatano.pdf)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)