越谷市平方の北通り沿いにある不動三尊像塔(不動明王と二童子)を調べた。調査した路傍の石仏を写真とともにお伝えする。調査日は2025年7月13日。
不動三尊像塔
場所は越谷市消防団桜井分団第五部の脇。トタン葺きの古びた木祠(もくし=木の祠)の中に、不動三尊像が彫られた石塔が安置されている。
石塔
石塔の型式は笠付き角柱型。江戸末期・文久4年(1864)造立。正面中央に不動三尊(ふどうさんぞん)が陽刻されている。
不動三尊
不動三尊(ふどうさんぞん)とは、密教における重要な尊像のひとつで、中央に不動明王を配し、その左右に二童子(脇侍=わきじ)を従えた三体の像のことをさす。
二童子は、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)の二尊。
不動明王
中央上部は不動明王(ふどうみょうおう)
火焔光背(かえんこうはい)を背負い、磐石(ばんせき)の上に座した姿で浮き彫りされている。右手に宝剣を持ち、左手で羂索(けんさく)を握っている。羂索は人々を救う投げ縄。
二童子
不動明王の下に陽刻されているのは二童子。
矜羯羅童子
向かって右(不動明王から見て左下)は矜羯羅童子(こんがらどうじ)。おだやかな表情の立ち姿で、両手で蓮華(れんげ)を持っている。
制多迦童子
向かって左(不動明王から見て右下)は制多迦童子(せいたかどうじ)。岩座の上に腰掛け、怒りの表情で、右手に金剛棒(こんごうぼう)を持っている。
制多迦童子は「制吒迦童子」や「制託迦童子」とも表記される。
成田山
二童子(せいたか童子とこんがら童子)の顔の間に「成田山」(なりたさん)と刻まれている。
成田山とは、千葉県成田市にある成田山新勝寺(しんしょうじ)のこと。新勝寺は不動明王の総本山で、不動明王信仰の頂点に位置している。
脇銘|左側面
石塔の左側面(向かって右側面)の脇銘は「文久四子年正月吉日」
木祠の中に安置されていたので、石塔の保存状態はすこぶるいい。刻まれている文字(銘)も鮮明だし、不動三尊の彫り具合も美しい。造立から161年たっているとは思えない。
脇銘|右側面
右側面(向かって左側)には「平方村東組」(ひらかたむら ひがしぐみ)「講中」(こうじゅう)と刻まれている。
この銘からこの石塔(不動三尊像塔)は、平方村東組の「成田講」(なりたこう)の仲間たちによって寄進されたことがわかる。
「成田講」とは、成田山新勝寺への参詣(成田参り)を目的とした信者たちの団体(講=こう)のこと。
とくに江戸時代は成田詣(なりたもうで)がさかんにおこなわれ、越谷でも多くの村で「成田講」が組織されていた。
また、講員全員での参詣がむずかしい場合は、代参講(だいさんこう)といって、講のメンバーから代表者を数人選び、選ばれた代表者が講の費用で参詣に行き(旅をして)、お札などを持ち帰って、他の講員に配った。
東組共同墓地
越谷市消防団桜井分団第五部の裏手は平方東組の共同墓地になっているが、古い石塔や石仏などは、見あたらない。
場所
住所は、埼玉県越谷市平方387( 地図 )。郵便番号は 343-0002。場所は、平方北通り沿いにある越谷市消防団桜井分団第五部の脇。北西400メートルのところに林西寺がある。
場所
住所は、埼玉県越谷市平方387( 地図 )。郵便番号は 343-0002。場所は、平方北通り沿いにある越谷市消防団桜井分団第五部の脇。北西400メートルのところに林西寺がある。
参考文献
本記事を作成するにあたっては、関係書籍や調査報告書も参考にした。参考にした文献を以下に記す。引用した箇所については記事中に引用箇所を明記した。
加藤幸一「桜井地区の石仏」平成5・6年度調査/平成31年8月改訂(越谷市立図書館蔵)
『越谷市民俗資料集』越谷市史編さん室(昭和45年3月1日発行)
薬師寺君子『決定新版 日本の仏像230』西東社(2022年3月10日発行)
『サライ』編集部編『仏像の見方』小学館(2002年4月10日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)