越谷市相模町の大聖寺(だいしょうじ)、通称・大相模不動尊では、七福神巡りができるんです。しかも一度に七柱すべての神様が参拝できちゃうという……。知ってました? それではみなさまを大聖寺へとお連れいたします。
大聖寺七福神めぐりツアー
みなさま、本日は、しらこばと観光・大聖寺七福神巡りツアーにご参加いただきまして、まことにありがとうございます。
さてこれより、大聖寺にございます七福神をはじめ見どころの数々を、みなさまとたずねてまいります。
本日、ご縁がございまして、みなさまのお供をさせていたただきます、虹団子(にじ・だんこ)と申します。まだまだ未熟者ではございますが、一生懸命つとめさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
山門
まず正面をご覧くださいませ。
目の前におおいかぶさるような大きな門が、大聖寺の山門(だいしょうじのさんもん)です。この山門は、今から308年前、江戸中期の正徳(しょうとく)5年(1715年)につくられ、江戸後期の文化元年(1804年)に再建されたものでございます。
明治28年(1895年)に大聖寺が大火災に見舞われたさいに唯一焼け残ったのがこの山門です。大聖寺の象徴ともいえるこの山門は、越谷市の有形文化財にも登録されております。
山号額
正面に掛けられている「真大山」(しんたいさん)の額は、寛政の改革で知られる江戸時代中期の老中(ろうじゅう)・松平定信(まつだいら さだのぶ)の直筆(じきひつ)といわれております。
それでは山門をくぐりまして、大聖寺の境内をご案内させていただきます。
参道
みなさまの正面中央に本堂まで続いている石畳の参道は、およそ120メートル。両脇には石灯籠が並んでおります。
山桜
参道の両脇に植えられているのは遅咲きの山桜で、毎年、四月の上旬から中旬にかけて見ごろを迎え、うららかな春の散策をお楽しみいただけます。
虹だんご
みなさま、右手をご覧くださいませ。
あちらの白い壁のお店は、越谷の誉れ・虹だんご本店です。虹だんごには、七福神巡りを終えたあと立ち寄りますので、楽しみにお待ちくだいませ。
それでは参道を歩いてまいります
石畳が続きますので、お足もとにご注意くださいませ。
降魔の松
みなさま、右手をご覧くださいませ。
いきおい盛(さか)んなこの松は、「降魔の松」(こうまのまつ)と呼ばれております。降参させるの「降」(こう)、魔物の「魔」(ま)と書きまして、「降魔の松」。魔物を降参させる、魔を断ち切る、という意味がございます。
御座の松
続いて左むこうを覧くださいませ。
お地蔵さまのうしろにあります松の木は、「御座の松」(ござのまつ)と呼ばれております。徳川家康公が大聖寺に立ち寄ったさい、あの松の木の下に腰掛けた、との言い伝えから「御座の松」と名づけられました。
みなさま、おそれいりますが、うしろをふりかえってご覧くださいませ。
こちらの降魔の松は、御座の松から株分けをして、この場所に移されました。
狛犬
さて、参道の両側で、みなさまを出迎えてくれたのは、大聖寺の本堂を守っている狛犬(こまいぬ)です。みなさまの右手で、うなるように口をあけているのが「阿」(あ)
吽の狛犬
みなさまの左手で、口を閉じているのが「吽」(うん)の狛犬です。
狛犬の「阿吽」(あうん)は、インドのサンスクリット語の最初の音「あ」と、最後の音「うん」をあらわしており、「宇宙の最初と最後」を意味しているといわれております。
ぴんころ地蔵
左手をご覧くださいませ。
鞘堂(さやどう)に安置されているのは、ぴんころ地蔵と申します。天寿をまっとうするまではピンピンと元気に生きて、死ぬときは苦しまずに、まわりに迷惑をかけずにコロッと旅立てるように導いてくださるお地蔵さまです。
左手にカラオケマイク
お地蔵さまの左手にご注目くださいませ。左手にカラオケのマイクを持っております。このお地蔵さまは、毎年9月に大聖寺で行なわれるカラオケ大会30回を記念して、平成23年(2011年)に奉納されたものです。
今では、カラオケ上達と長寿を願って、遠方からも参拝客が訪れるそうです。
冬至梅
ぴんころ地蔵の横で咲いております白梅は、「冬至梅」(とうじばい)と申します。樹齢およそ150年、早咲きの梅でございます。
見ごろは冬至から節分
冬至梅は、毎年、冬至を迎える12月下旬ごろから咲き始め、初詣の時期にはひとあし早い春の訪れを告げております。冬至梅は、節分のころまで楽しめます。
本日は、みなさまに愛でていただいて、冬至梅も喜んでいるようでございます。
本堂
正面に見えますのが大聖寺の本堂でございます。
現在の本堂は明治の大火後に再建されたものですが、大聖寺の歴史は古く、1200年以上前の奈良時代・天平勝宝(てんぴょうしょうひょう)2年(750年)の創建(そうけん)と伝えられ、越谷市最古の寺院でごさいます。
徳川家康公の夜具
徳川家康公の夜具(大聖寺所蔵)※禁無断転載
徳川家康が関ヶ原の戦いで、関ヶ原に向かう途中、大聖寺に立ち寄って戦勝祈願をし、そのとき家康公がお寺に泊まったさいに着用した寝衣(しんい)や奉納刀(ほうのうとう)などが保存されています。
家康公が着用した寝衣は「徳川家康公の夜具」(とくがわいえやすこうのやぐ)の名で、越谷市の文化財にも指定されております。
大聖寺の名付け親は家康公
当時、大聖寺は不動院(ふどういん)と呼ばれておりましたが、家康公が宿泊したさいに「大聖寺」(だいしょうじ)の名を与えたのが、大聖寺の由来でございます。
みなさま、本堂の前にお進みくださいませ。