越谷市大道の南部にある道ばたの道標付き文字庚申塔を調べた。石塔うしろのしだれ桜が見ごろを迎えていたので、春らしい写真も撮ることができた。
道標付き文字庚申塔
調査したのは 2025年4月10日。道しるべを兼ねたこの文字庚申塔は、江戸後期・天保4年(1833)造塔。石塔型式は山状角柱型。
正面の中央は平らに掘りくぼめられている。中央に大きく「庚申塔」陽刻されている。
脇銘
向かって左側。短冊形に浮き彫りされたところに「小倉前中納言□季寳男□紫永退書」と刻まれている。
左側面|道標
左側面(向かって右側)の中央は「天保四癸巳年三月吉日」。隣には「北のミち」(北 野道)と、道標銘(どうひょうめい)が刻まれている。
右側面|道標
右側面(向かって左側)の中央は「大道村」。両脇には「左まくり」(左 間久里)「南いわつき」(南 岩槻)と、道標銘が刻まれている。
台石
台石の正面には三猿(さんえん=三匹の猿)が陽刻されている。向かって左から「聞か猿」「言わ猿」「見猿」
三猿|聞か猿
聞か猿。後ろ向きにしゃがんで、左手で耳を押さえている。
三猿|言わ猿
言わ猿。正面を向いてしゃがみ、左手で口を押さえている。
三猿|見猿
見猿。正面を向いて横坐りをし、右手でめをふさいでいる。
台石|左右
台石の左右には世話人と寄進者の名前が刻まれている。左側面(向かって右側)19人、右側面(向かって左側)21人。
しだれ桜と庚申塔
調査した2025年4月10日、庚申塔のうしろのしだれ桜が見ごろを迎えていた。あいにくの曇り空だったので、きれいな写真は撮れなかったが、残しておきたい風景だ。
かつては別の場所にあった
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏によると、この道標付き文字庚申塔は、かつては、ここから北北東30メートル先、「八坂神社そぱの道路南側路傍」(※1)にあった、という。
※1 加藤幸一「大袋地区石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)69頁
当時の写真が、越谷市デジタルアーカイブに公開されているので、転載する。
昔の写真|昭和43年
出典:越谷市デジタルアーカイブ(※2)
上の写真は、57年前、昭和43年(1968年)ごろに撮影された道標付き文字庚申塔。生け垣の前に置かれている。浮き彫りされた「庚申塔」の文字が、はっきりと写っている。
※2 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 大道道標付文字庚申塔 )
昔の写真|昭和54年
出典:越谷市デジタルアーカイブ(※3)
こちら(上の写真)は、46年前、昭和54年(1979年)4月に撮影された道標付き文字庚申塔。生け垣が取り払われてブロック塀になっている。
左側面(向かって右側)の「天保四癸巳年三月吉日」と、「北のミち」(北 野道)の銘が、明確に確認できる。浮き彫りされた三猿の姿もはっきり写っている。
※3 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 大道道標付文字庚申塔 )
場所
道標付き文字庚申塔がある場所は、越谷市立大袋中学校の西200メートル、大野島越谷線(埼玉県道325号)から北70メートルの路傍にある( 地図 )。Googleマップでは「大道の庚申塔道標」と表示されている。
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参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「大袋地区石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改定(越谷市立図書館所蔵)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)