越谷市恩間新田の最西端、新方川ほとりの辻道にある天狗の顔が彫られた道標(みちしるべ)を調べた。調査日は2025年2月20日。
天狗面道標
天狗の顔が彫られた道しるべは越谷市内では珍しい。
石塔が建てられたのは、江戸末期・文久元年(1861)。石塔型式は角柱型。
正面の最頂部に、天狗の顔が線刻されている。その下は道しるべになっていて、「是より第六天道」「十八丁」と刻まれている。脇銘は「文久元酉年八月吉日」
左側面
左側面(向かって右側)には、寄進者9人、世話人3人の名前が刻まれている。
右側面
右側面(向かって左側)には、寄進者14人の名前が確認できる。
道標について
道標の場所
道標のある場所は、越谷市恩間新田の最西端。岩槻区大戸との境にあたる。江戸時代、恩間新田と大戸はともに岩槻領で、道標のある場所は、恩間村(※1)と大戸村の村境だった。
※1 恩間新田は、江戸時代は恩間村に属していたが、明治4年に恩間村から分村して恩間新田村となった。
道標の意味
道標に刻まれている「是より第六天道」「十八丁」の「第六天」とは、さいたま市岩槻区大戸にある武蔵第六天神社のこと。「十八丁」は、およそ1800メートル。
「是より第六天道」「十八丁」の銘は、ここから道(大六天道=だいろくてんみち)を1.8キロ行くと武蔵第六天神社(第六天)に至る、の意。
武蔵第六天神社
武蔵第六天神社
武蔵第六天神社(さいたま市岩槻区大戸)は、江戸後期・天明2年(1782)の創建。天狗信仰の聖地として崇められ、大天狗・烏天狗が宿る御神木に触れるために、昔も今も参拝者が絶えない。
天狗面の意味
道しるべに線刻された天狗面は、武蔵第六天神社を守護する天狗をかたどったもの。
天狗面が刻まれた、この道しるべは、武蔵第六天神社に行く道(大六天道)を示すために建てられた。
補足
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、この道標について、次のように述べている。
(この石塔は)大戸(さいたま市岩槻区大戸)の第六天に行くための道標である。ここ恩間新田より田んぼの中を南西に第六天に通じる道が現在でも存在する。明治のころまでは現在のような直線道路ではなく、蛇行していた。また、この石塔は、岩槻領の人々によって建てられたと思われる。
引用元:「大袋地区石仏」(※2)
※2 加藤幸一「大袋地区石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)90-91頁
第六天道
第六天道
道しるべを正面に見て、道がまっすぐ(南西に)続いている。この道が第六天道(だいろくてんみち)。前方には富士山が見える。
道しるべを起点に、富士山(南西)に向かって、まっすぐ田んぼ道を十八丁(1.8キロメートル)歩いていくと、岩槻区大戸の武蔵第六天神社に着く。
江戸時代、武蔵第六天神社に向かう参詣者(さんけいしゃ)たちは、この天狗面道標を見て、第六天まであと少し、と思い、富士山を望みながら、第六天道を歩いたのだろうか……。
第六天道の正面前方に見える雪化粧した富士山を眺めながら、江戸時代に思いをはせた。
場所
天狗面道標がある場所は、越谷市恩間新田の最西端、新方川ほとりの辻道。個人宅のブロック塀脇にある( 地図 )。上の写真の黄色い丸印(○)が天狗面道標。
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参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「大袋地区石仏」平成9・10年度調査/平成27年12改訂(越谷市立図書館蔵)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)