2024年7月21日。越谷市下間久里の獅子舞<夜の部>「第六天の舞」「辻切り」の様子を動画に収めた。「辻切り」は朝から行なわれてきた一連の舞いの最後を飾るいちばんの見どころ。神聖な空気に包まれた。

下間久里の獅子舞

下間久里の獅子舞

毎年7月の第3日曜日(※1)に下間久里地区で行なわれる伝統行事で、昭和37年(1942)に埼玉県の無形文化財に指定された。

※1 もともとは毎年7月15日に行なわれていたが、平成26年(2014)から7月の第三日曜日になった。

笛や太鼓の音に合わせ、太夫獅子(たゆうじし)中獅子(なかじし)女獅子(めじし)三頭一組が、下間久里の鎮守・香取神社の境内を起点に地区内をまわって家内安全を祈る舞を披露する。

雨下無双角兵衛

下間久里の獅子|雨下無双角兵衛

下間久里の獅子の名称は「雨下無双角兵衛」(あめがしたむそうかくべい)という。雨の降る世界(天下)に二つとない獅子の意。

歴史

下間久里の獅子舞

下間久里の獅子舞がいつから始まったかは、つまびらかでないが(※2)、安土桃山時代の文禄3年(1594年)に京都から伝わったとされていることから、430年近い歴史を誇る。
 
素朴で原始的な形態を残している下間久里の獅子舞は、春日部市や野田市など周辺地域の獅子舞行事の源流とされている。

※2 下間久里の獅子舞には、由緒などが記された「巻物」(まきもの)と呼ばれる秘伝書が残されているが、巻物を見ると目がつぶれる、との言い伝えがあり、他見を禁じられている。したがって、下間久里の獅子舞の由緒は、うかがい知ることはできない。

構成

下間久里の獅子舞

下間久里の獅子舞は三部構成になっている。

  1. 神社での舞い
  2. 村回り
  3. 辻切り
神社での舞い

神社での舞い

午前8時。下間久里の獅子舞は、下間久里の鎮守・香取神社から始まる。拝殿で、獅子に魂を入れる儀式が行なわれたあと、境内で、「神社での舞い」が行なわれる。

村回り

村回り

神社での舞いが終わると、太夫(たゆう)・獅子三頭・笛・花笠・連中(れんじゅう)など総勢40人ほどで、下間久里地区の家々や旧村境、堂や小祠などを丸一日かけてまわる。これを「村回り」と呼ぶ。

宿での舞

宿での舞

村回りは、夏の日差しを受けながら、朝から晩までの長丁場となるので、途中、連中一同が「宿」(やど)と呼ばれる家で、休憩や食事をとり、舞手(まいて)を交代する。
 
宿をたつ前に、もてなしてもらったお礼に、宿の庭先で「宿での舞い」を行なう。

名主の庭

名主の庭

下間久里の家々をまわったあと、最後に、江戸時代に名主(なぬし)をつとめた家を訪れ、庭先に敷かれた赤いじゅうたん(※3)の上で「名主の庭の舞」が行なわれる。

※3 かつては赤いじゅうたんではなく、むしろ(筵)が敷かれた。

名主の家(ダンナサマの家)は、宿(やど)も兼ねている。夕食がふるまわれ、舞手が交代し、村回りは、夜の部に入る。

夜の部

提灯

夜の部では、浴衣姿の連中が提灯を手にして獅子を誘導する。
 
「お不動様」や「雷電様」(らいでんさま)の前で、獅子舞がおこなわれ、「第六天」(だいろくてん)へと向かう。

第六天

夜の部(村回り)で、最後に立ち寄るのが、旧村境(大里地区との境)にほど近い「第六天」。小祠の前で獅子舞をおこなう(上の動画)
 
このあと下間久里と大里の地境(旧村境)へ移動。

辻切り

丸一日がかりでおこなわれてきた下間久里の獅子舞の最後を飾るのが「辻切り」(上の動画)
 
獅子が下間久里の家々をまわって悪魔を追い払ってきて、悪魔たちよ、再びこの地に入るならば切る、という舞いで、高い笛の音が夜空に響くなか、太刀(たち)と御幣(ごへい)を手にして舞う太夫(たゆう)の姿は荘厳。神聖な空気に包まれた。

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参考文献

本記事を作成するにあたって参考にした文献を以下に記す。

参考文献

『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『下間久里の獅子舞』埼玉県立民俗文化センター(昭和57年3月1日発行)
『雨下無双角兵衛 獅子舞を見る』山口時弘・獅子舞連中(平成26年7月発行)
『獅子舞の成り立ち~越谷市下間久里の獅子舞』山口時弘(平成27年7月発行)