石仏調査|大道西部

旧村境

大野島越谷線|旧村境

大野島越谷線のガードレールの奥が藪になっている場所がある。ここは旧・大道村と三野宮村の村境だった。「たしかこのあたりにあったはずなんだけどなぁ…」

二基の石塔

二基の石塔

「あった、あった、ありました」。石塔が二基、茂みに隠れていた。

道標石塔

道標石塔と道標付き普門品供養塔

左が年代不詳の道標石塔。右が江戸後期・文化6年(1809)の道標付き普門品(※2)供養塔。

※2 普門品(ふもんぼん)とは、法華経の第八巻第二五品「観世音菩薩普門品」の別称。観音経(かんのんぎょう)とも呼ばれる。観音経(普門品)を一定回数読誦(どくじゅ)した記念に建てたのが普門品供養塔。この普門品供養塔には道しるべも刻まれている。

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この二基の石塔については別記事で詳しく解説している。

堤防道

大道の堤防道

ガードレールに沿って道を進むとY字路にぶつかる。左は大野島越谷線。右は旧道(堤防道)。旧道は現在、車両通行止めになっている。堤防道を進む。右手の木が生い茂っているところは元荒川左岸堤。

大道の堤防道|昭和54年

(出典)越谷市デジタルアーカイブ( 大道の堤防道

上の写真は、46年前、昭和54年(1979年)に撮影された堤防道の風景。出典は越谷市デジタルアーカイブ。左手に写っている商店は、大野島越谷線の拡張工事のさいに、別の場所に移転した。

共同墓地|大日堂跡

大道上手共同墓地

堤防道の左手、小高い丘の上にある墓地は、大道上手(わて)共同墓地。
 
大道の地内(じない)は、「上手」(わて)と「新田」(しんでん)の二地区に分かれていて、このあたりは「上手」と呼ばれている。
 
越谷市郷土研究会の加藤幸一氏によると、この共同墓地があった場所には、「地元では『寮』と呼ばれる、十一面観音像を安置する真言宗のお堂があり[中略]この『寮』を『大日堂』とも呼んでいた」(※3)という。

※3 加藤幸一「大袋地区石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)66頁

無縁塚

無縁塚

墓地の一角に無縁塚がある。この中にある地蔵菩薩座像を戴いた墓塔を探す。最後列の左から二番目にあった。

地蔵菩薩座像き墓塔

地蔵菩薩座像き墓塔

この墓塔は、江戸中期・寛保3年(1743)建立。地蔵菩薩の顔が欠けてしまっている。
 
地蔵菩薩座像の下には、地蔵菩薩を表わす梵字「カ」、その下には「道印清信士」「妙印清信女」「妙温清信女」と、三人の戒名が刻まれている。

上手組香取社跡

上手組香取社跡

上手組香取社跡

共同墓地の前は更地になっているが、かつて、ここには、大道の上手組(わてぐみ)が管理する香取社があった。
 
『埼玉の神社』(※4)に、上手組香取社で行なわれていた「香取講」についての記述があるので、以下、引用・抜粋する。

上手の人々の間では、上手の香取神社を祭る香取講という行事があり、一・四・五・九・十一の各月に一回ずつ宿に集まって、床の間に「香取大明神」の掛軸を掛けて礼拝したあと、飲食した。この年五回の香取講のうち、十一月の行事をとくに「ゴミッパタキ」と呼んだ。

※4 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「大道神社」1143頁

備考|庚申塔

青面金剛像庚申塔

上手組香取社にあった庚申塔

上手組香取社の境内には、青面金剛像庚申塔があったが(上の写真)、上手組香取社が廃社になったときに、大道香取神社(大道神社)に移された。大道香取神社はこのあと立ち寄るので、上手組香取社にあった青面金剛像庚申塔については、そこで紹介する。
 
次の場所に移動。

移動|大野島越谷線

大野島越谷線

大袋西口通りと大野島越谷線が交わる丁字路に再び戻った。横断歩道を渡って、大野島越谷線を右に進む。

角地の石塔

角地の石塔

100メートルほど歩るくと十字路に出る。その左手の角地(電信柱の脇)に、石塔が一基、置かれていた。

霊神塔

霊神塔

この石塔は霊神塔(れいじんとう)。型式は角柱型。江戸後期・弘化3年(1846)の建立。正面に「政英彦霊神」と刻まれている。
 
この霊神塔について、越谷市郷土研究会の加藤幸一氏は、次のように述べている。
 
「霊神とは、一般には霊験あらたかな神という意味。この石塔は、亡くなられた人の神号『政英彦』の下に『霊神』の語を付けて『政英彦』を神として敬ったものです」(※5)

※5 加藤幸一「大袋地区石仏」平成9・10年度調査/平成27年12月改訂(越谷市立図書館所蔵)67頁

移動

霊神塔をあとに、大野島越谷線から離れて住宅街に入る。次の調査地は個人宅の屋敷神。家の人の許可を得て、敷地内に入る。

おいなりさま

おいなりさま

朱塗りの鳥居の先に小さなお社(やしろ)があり、「荒神宮」(こうじんぐう)と刻まれた石塔が安置されている。
 
案内してくださった家の奥さまの話によると(石塔には「荒神宮」と刻まれているが)地元では「おいなりさま」(お稲荷さま)と呼ばれていたそうだ。

荒神宮文字塔

荒神宮文字塔

荒神宮文字塔(通称おいなりさま)は、江戸後期・享和2年(1802)造塔。石塔型式は祠型(ほこらがた)。正面中央に「荒神宮」と刻まれている。

左側面

脇銘

左側面(向かって右側)の銘は「享和二壬戌年」

右側面

脇銘

右側面(向かって左側)には「九月吉祥日」と刻まれている。
 
対応してくださった奥さまにお礼を述べて、前半最後の調査場所、大道香取神社へと向かった。

大道香取神社