越谷市大杉の鎮守・稲荷神社の庚申塔と、境内の風景を現地で取材した写真とともにお伝えする。場所は、大杉公園通り沿いにある川崎神社の北西100メートル先。
大杉稲荷神社
大杉稲荷神社の祭神は、稲荷信仰の祭神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。大杉の鎮守として祀られてきた。
創建年代は、つまびらかでないが、江戸後期に幕府が編さんした地誌『新編武蔵風土記稿』「大杉村」の項に、「稲荷社 村の鎮守なり、浄閑寺の持、末社 香取 天神」(※1)とあるのが、大杉稲荷神社のこと。
※2 『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)「大杉村」181頁
香取社を合祀
鳥居の社号額に「稲荷神社 香取神社」と併記されている。
『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』によると、「これは、末社であった香取社をいつのころか、当社(稲荷神社)に合祀したため」(※2)という。
※2 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「大杉稲荷神社」1112頁
大杉稲荷神社は、「大杉香取神社」「かとりさま」「大杉神社」などとも呼ばれている。
それでは、境内の庚申塔から見ていく。
庚申塔
境内手前の角地、イチョウの大木の横に、庚申塔が一基立っている。江戸後期・文化6年(1809)造塔。石塔型式は山状角柱型。
正面
正面の主銘は「庚申塔」。最頂部の左右には瑞雲に乗った日月が陽刻されている。
左側面
左側面(向かって右側面)の銘は「文化第六己巳年二月吉日」
右側面
右側面(向かって左側面)には「武州埼玉郡新方領」「大杉邑」とある。
三猿
石塔の下、台石には三猿が浮き彫りされている。
三猿ともに劣化がひどく、像容は確認しづらいが、正面の中央は「聞か猿」。両手で耳を押さえている。上の写真の黄色い○(マル)印。
言わ猿
向かって左角にいるのが「言わ猿」。劣化がひどいが、両手で口を押さえているように見える。上の写真の黄色い○(マル)印。
見猿
向かって右角は「見猿」。両手で目を押さえているのが、なんとなくわかる。上の写真の黄色い○(マル)印。
庚申塔の三猿は、通常、正面に三匹並んで彫られているが、正面と両角に掘られている三猿は珍しい。
台石|下段
三猿の下段の台石は、大半が土に埋もれていて、なおかつ庚申塔の前に石が置かれているので、銘を確認することはできない。
1995年にこの庚申塔を現地調査した、越谷市郷土研究会・加藤幸一氏の「新方地区の石仏」(※3)によると、この台石の正面には「本田講中」「世話人」「孫右衛門」「助右衛門」の銘が刻まれている、という。
※3 加藤幸一「新方地区の石仏」平成7・8年度調査/平成31年1月改訂「旧大杉村の石仏」51頁
昭和54年に撮影された庚申塔
出典:越谷市デジタルアーカイブ(※4)
46年前、昭和54年(1979年)に撮影された、文字庚申塔の写真(白黒)が、越谷市デジタルアーカイブに公開されているので転載した(上の写真)
三猿の像容と、台石に刻まれた「本田講中」「世話人」「孫右衛門」「助右衛門」の文字が確認できる。
※4 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 大杉香取神社・文字庚申塔 )
本田講中
台石に刻まれた「本田講中」(ほんでん こうじゅう)とは、大杉本田の講中(信仰者の仲間)のこと。
「大杉は、川端(かわばた)・中組・西組・新田の四地区からなり、中組と西組を合わせて本田と呼ぶ」(※5)
この庚申塔は大杉本田地区(中組と西組)の講中によって寄進された。
※5 埼玉県神社庁神社調査団編『埼玉の神社(北足立・児玉・南埼玉)』埼玉県神社庁(平成10年3月31日発行)「大杉稲荷神社」1112頁
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越谷市大杉の大杉新田稲荷神社にある庚申塔や几号付き測量標石などを調べた。調査した石仏や石塔を写真とともにお伝えする。場所は、大杉公園通りをはさんだ越谷市第二学校給食センターの南側にある。
盃状穴のある置き石
庚申塔の前に石が置かれているが、この石に、数箇所、盃状穴(はいじょうけつ)と呼ばれる凹み穴が見られる。
盃状穴
盃状穴については諸説あるが、なんらかの目的で人為的に掘られたと考えられている盃状(さかずきじょう)の穴(凹み穴)で、石造物に多くみられる。呪術や土俗信仰と深くかかわっているともいわれているが、詳しいことはわかっていない。
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