赤山街道

赤山街道

油長内蔵をあとに西へ60メートルほど歩き、T字路に出て右へ。
 
この道は古道で赤山街道(あかやまかいどう)。江戸時代、赤山(現・川口市赤山)にあった陣屋(役所)まで年貢を運ぶ街道として整備された。越ヶ谷宿から鳩ヶ谷宿まで続く道でもあった。
 
左手は越谷市立越ヶ谷小学校。前方に黒く塗られた板塀(有瀧家の黒塀)が見える。

八百喜参の蔵

八百喜参の蔵

続いて訪れたのは八百喜参の蔵(やおきさんのくら)。昔は「八百喜」(やおき)という屋号の魚屋だった。外見は石造りのように見えるが木造の蔵。洗い出しと呼ばれる製法で作られている。

菊の被綿

菊の被綿

一階で展示されている雛飾りを見学。入口には菊の被綿(きせわた)が飾られていた。

雛飾り

雛飾り

雛飾り

雛人形

雛人形

高砂人形

高砂人形

高砂人形(姥)

高砂人形(姥=うば)

童人形

童(わらぺ)人形

有瀧家の黒塀

有瀧家の黒塀

八百喜参の蔵を出て右折。20メートル先のY字路に沿って黒く塗られた板塀がある(越谷市中町)。通称、有瀧家の黒板塀(ありたきけのくろいたべい)。
 
造物を支えるために土台として黒塀下に据えられる礎石(そせき)には、江戸城の石垣にも使われた伊豆軟石が使われている。また、この場所は、赤山街道の起点に当たる。

有瀧家のタブノキ

有瀧家のタブノキ

黒塀越しにタブノキが見えるが、このタブノキの樹齢は400年。以前は「有瀧家のタブノキ」の名称で越谷市の天然記念物に指定されていたが、枝が伐採されてしまったので、越谷市天然記念物からは、はずされた。

ケヤキの大木と神社

中町浅間神社

有瀧家の黒塀に沿って歩くと十字路に出る。道路の対面にケヤキの大木と神社が見える。続いての訪問先、中町浅間神社(なかまちせんげんじんじゃ)だ。

中町浅間神社

中町浅間神社

中町浅間神社に到着(越谷市中町7-2)。石段を上った石鳥居には「不士仙元社」(ふじせんげんしゃ)と記された扁額(へんがく)が掲げられている。
 
神社の創建年代は不詳だが、室町時代の応永33年(1426)文明8年(1476)と刻まれた銅板の懸仏(かけぼとけ)が残されていることから古社であることがうかがわれる。

浅間神社のケヤキ

中町浅間神社のケヤキ

境内にあるケヤキの巨木は推定樹齢600年。樹高23メートル、根回り7メートル。「浅間神社のケヤキ」の名称で、越谷市の文化財に指定されている。

旧参道跡

中町浅間神社|旧参道跡

畔上順平氏

以前は、旧日光街道から神社の階段下まで参道が続いていましたが、道路の拡張工事によって、参道部分は削られてしまいました。


かつての参道跡を歩きながら先へ進む。

移動|旧日光街道へ

木下半助商店(裏手)

中町浅間神社をあとに、旧日光街道に向かう。左側に見える細長い家は、木下半助商店。間口が狭くて奥行が深くなっている。

畔上順平氏

敷地には、三棟の土蔵、奥座敷、稲荷社などが、うなぎの寝床のように並んでいます。石蔵には耐火性のすぐれた房州石(ぼうしゅういし)が使われています。

木下半助商店

木下半助商店

旧日光街道沿いにある木下半助商店(きのしたはんすけしょうてん)に到着。越ヶ谷宿の中ほどに位置する大工道具や金物を扱っている道具店で、創業は江戸後期。
 
明治38年の大火により消失したが、大火後に再建。表通りに面する店舗をはじめ土蔵・石蔵・主屋・稲荷社が現存し、平成27年(2015)に越谷市では初となる国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
 
あいにく今日はお店は閉まっていた。

店舗内の様子

木下半助商店|店舗内の様子

上の写真は、今年(2022年)の「日光街道越ヶ谷宿 雛めぐり まちあるきガイドツアー」に参加したときに撮影した、木下半助商店の店内。
 
木下家は、江戸時代から越ヶ谷宿で商いを始め、明治時代に金物屋になった。昔ながらの対面式の店構えが残っている店舗内は、明治・大正・昭和初期の商家の面影がしのばれる。

小泉家

小泉家

木下半助商店の向かいにあるのは小泉家(こいずみけ)。先祖が漆を扱っていたことから塗師市(ぬしいち)の屋号をもつ江戸時代から続く呉服商だった。今は商いはしていない。
 
店舗と蔵が横並びになっている形式は越ヶ谷宿で現存する唯一の住宅。当時は間口(まぐち)の長さで税金が決められていた(間口が狭いほど税金が安い)ので、店舗と蔵を横並びに広げるという配置は、財力の象徴ともいえ、名家でなければできなかった。

土蔵と防火壁

土蔵と防火壁

蔵は明治8年(1875)築。越ヶ谷宿の大半を焼失した明治32年(1899)の大火(通称・芋金火事)でも燃えなかった土蔵で、蔵の脇には「うだつ」と呼ばれるレンガ造りの防火壁が設けられている。
 
店舗と住宅は大火後の明治34年以降の再建。小泉家の土蔵とレンガ造りの防火壁は越ヶ谷宿の歴史を伝える貴重な財産といえる。

うだつとは

隣り合った家の境に設けられた防火壁のこと。造るのには相当なお金がかかったため裕福な商家しか取り付けることはできなかった。立派なうだつは財力の象徴でもあり、ここから、出世しない、ぱっとしない、生活がよくならない、などということを「うだつが上がらない」と言うようになった。

鍛冶忠商店

鍛冶忠商店壁

小泉家の並びにあるのが日用雑貨店を営む鍛冶忠商店(かじちゅうしょうてん)。住所は越谷市中町10-6。明治33年(1900)に建てられた蔵造りの建物。二階の屋根の下に見える6本の金具は、雨どいを支えるためのもの。
 
今日は定休日だった。

店内の様子

鍛冶忠商店|店舗内の様子

上の写真は、今年(2022年)の 2月26日に撮影したもの。店内では、箒(ほうき)・金属製の湯たんぽのほか懐かしい便所紙なども売られている。