越谷今昔20景

【16】越谷三丁目歩道橋
【17】オイテケ堀と弁天社
【18】越谷商店街
【19】市役所案内係
【20】越谷駅|東口

【16】越谷三丁目歩道橋

上の白黒写真は、今から59年前、昭和40年(1965年)9月に撮影された、越谷三丁目歩道橋(観音横町)の渡り初めの様子。越谷三丁目歩道橋は、越谷市初の歩道橋で、地元の小学生たちが渡り初めをおこなった。
 
白黒写真に写っている子どもたちは現在68歳前後か。
 
下の写真は、2024年9月12日に撮影した同じ場所からの風景。歩道橋の隣は大正13年(1924)創業の清水屋せんべい店。

【17】オイテケ堀と弁天社

上の白黒写真は、今から54年前、昭和45年(1970年)ごろに撮影された、見田方八坂神社(大成町)の裏手にある弁才天を祀る弁天内池。通称・おいてけ堀。
 
地元の男の子たちが、木の枝を手に、ザリガニを捕っているのだろうか。男の子たちの髪型(坊ちゃん刈り)と半ズボン姿はまさに昭和。そんな彼らも今は高齢者になっている。
 
下の写真は、2023年6月13日に同じ場所から撮影した、おいてけ堀の風景。石鳥居・石畳の参道・太鼓橋・弁天社は、令和4年(2022年)12月に新築された。
 
今では、ここ(おいてけ堀)で遊ぶ子どもたちの姿はない。

【18】越谷商店街

上の白黒写真は、今から66年前、昭和33年(1958年)に撮影された、旧日光街道の越谷商店街(越ヶ谷本町付近)。左端の「埼玉縣信用金庫」は今も健在。
 
軒を連ねる店の屋根看板、店の前に駐車しているオート三輪、鳥打ち帽をかぶって自転車でリヤカーを引いて走る男性、おかっぱあたまの女の子……すべてが昭和だ。
 
みんな半袖姿なので季節は夏。行き交う人々が生き生きしていて、商店街全体が活気にあふれている。
 
下の写真は、2024年9月22日に撮影した同じ場所からの風景。今は、車の往来は、はげしいが、人通りは少なく、かつての活気はない。

【19】市役所案内係

上の白黒写真は、今から61年前、昭和38年(1963年)4月15日に撮影された、越谷市役所受付の様子。
 
当時は、昭和30年(1955年)9月に越谷町役場として開庁した庁舎をそのまま市庁舎として使っていた。今となってはたいへん貴重な写真だ。
 
案内係の女性事務員の服装も時代を感じるし、案内係の女性と、問い合わせをしている女性の髪型も、ともに昭和30年代の雰囲気がただよっている。
 
下の写真は、2024年(令和6年)10月17日に撮影した越谷市役所新本庁舎(1階エントランスホール)の総合受付。
 
2021年(令和3年)に完成した新本庁舎は、町役場時代に建てられた庁舎とはうってかわって垢抜けている。

※私が撮影した越谷市役所新本庁舎・総合受付の写真は、使用目的を総合受付のお二人に伝えたうえで、撮影及び掲載の許可を得ている。

【20】越谷駅|東口

上の白黒写真は、今から66年前、昭和33年(1958年)の夏ごろに撮影された、越谷駅前(現・東口)の夕方の風景。当時、越谷駅には西口はなかった。
 
駅舎の屋根は瓦ぶき。帰途につく女性たちの服装も時代を感じる。
 
下の写真は、2024年9月12日に撮影した同じ場所からの風景。今は、越谷駅は高架になり、西口もでき、66年前の景色とは一変。当時の面影はまったくない。

おわりに

越谷今昔

本記事では、越谷市デジタルアーカイブで公開(使用許可)されている写真を元に、20箇所の「越谷今昔」を巡った。また、別の20箇所をまわって、「越谷今昔」(第二弾)を写真に残したいと思う。

掲載場所一覧

  1. 赤山踏切
  2. 元荒川・東武線鉄橋
  3. 寺橋水練場
  4. 文教大学
  5. 恩間新田の千間堀
  6. 民家と道路|宮本町
  7. 堂面の渡しと堂面橋
  8. 堂面橋と古利根川
  9. 万寿屋呉服店|小泉家住宅
  10. 向畑・古利根川河畔石塔群
  11. 小曽川の庚申塔群
  12. 七左町下組稲荷神社
  13. 西新井・五才川の農道
  14. 越ヶ谷久伊豆神社
  15. 大袋駅地下通路
  16. 越谷三丁目歩道橋
  17. オイテケ堀と弁天社
  18. 越谷商店街
  19. 市役所案内係
  20. 越谷駅|東口

参考文献

本記事を作成するにあたって、参考にした文献を以下に記す。

参考文献

越谷市役所『越谷ふるさと散歩(上)』越谷市史編さん室(昭和54年8月2日発行)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)