越谷市北後谷の鎮守・根郷稲荷神社にある稲荷大明神文字塔と主尊不明の三基の石塔を調べた。境内の風景も写真に収めたので併せて紹介する。
根郷稲荷神社
調査日は、2025年1月4日。北後谷の根郷自治会館(光明院跡地)の石仏を調査したあと、末田用水に向かって北東に歩いていたら、左手に小さな神社があったので、立ち寄った。
この神社は、北後谷の鎮守・稲荷神社とのこと。(※1)
※1 越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)156頁
このあたりは、根郷(ねごう)と呼ばれる小字(こあざ)の地域で、この稲荷社は、根郷の稲荷神社、根郷稲荷神社とも呼ばれている。
石塔
鳥居をくぐった参道の左手に、一基の石塔と、破損した三基の石塔が並べられている。
稲荷大明神文字塔
上の写真は、台石の上に置かれている角柱箱型の石塔。江戸後期・文政11年(1828)造塔。
正面の主銘は劣化がひどく、「□荷□明□」と、「荷」「明」の二文字がうっすらと読みとれる。「□荷□明□」は、「稲荷大明神」と思われる。
平成14年(2002)に、この石塔を調査した越谷市郷土研究会の加藤幸一氏も、「□荷□明□」は、「稲荷大明神」であるとし、この石塔は「稲荷大明神文字塔」(※2)としている。
※2 加藤幸一「荻島地区石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂「根郷の稲荷神社」63頁
ここでは加藤氏の調査報告に従って、この石塔は「稲荷大明神文字塔」とする。
脇銘
左側面の銘は「文政十一戊子」「九月吉日」と刻まれている。
破損している石塔三基
稲荷大明神文字塔の隣には、破損した三基の石塔が、長方形の台石の上に置かれている。
左端の石塔
向かって左端の石塔は、上半分が破損している。陽刻されている主尊は、首から上が欠けているので分からないが、地蔵菩薩座像だろうか。石塔型式、年代ともに不詳。
地蔵菩薩座像だとしたら、この石塔は、なんらかの供養塔かもしれない。
中央の石塔
中央の石塔は、台石だけが残っていて、石塔部分は割れてしまって倒れている。何の石塔かはわからない。型式も年代も不明。
右端の石塔
右端の石塔は、上半分が割れてしまっている。文字がうっすらと刻まれているが、読み取ることはできない。石塔型式・年代は不詳。なんらかの供養塔かもしれない。
境内の風景
境内は、こぢんまりとしているが、手入れが行き届いていて、地元の人たちに敬(うやま)われていることが、うかがわれる。
参道
参道は石畳になっていて、長さは、15メートルほど。正月だったので、赤字に白文字の幟が三本、立てられていた。一本は「初詣」、二本は「正一位 稲荷大明神」
鳥居
朱色に塗られた木の鳥居は明神鳥居(みょうじんとりい)。紙垂(しで)の付いたしめ縄が張られている。朱色の神額には「正一位 稲荷大明神」と黒文字で描かれている。
左右の柱には、正月らしく、竹と門松が飾られていた。
社
お社(やしろ)は、小さいながらも補修されていて、古びた感じはしない。屋根は瓦。社は木造。屋根を支える手前の柱にも紙垂の付いたしめ縄が張られている。
扉は開かれていたが、社の中は神聖な場所なので、社内(やしろない)の撮影は控えた。
場所
根郷稲荷神社の住所は、埼玉県越谷市北後谷691-1。越谷街道と末田用水が交差する地点から北西100メートルのところにある( 地図 )
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参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「荻島地区石仏」平成14年度調査/平成29年3月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市役所『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
外山晴彦・『サライ』編集部編『神社の見方』小学館(2007年7月15日/初版第6刷発行)
庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)