福寿院墓地

福寿院墓地

続いて福寿院(ふくじゅいん)墓地へ。護郷神社の南東30メートルほどの場所にある。かつては富井山福寿院と称した真言宗の寺院だったが、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺になった。現在は墓地として残っている。

石塔・墓塔

石塔・墓塔

墓地には、歴代住職の五輪塔・無縫塔墓石のほか、普門品(ふもんぼん)供養塔、不動明王や弘法大師、観音菩薩の石像などが、墓石とともに並べられている。
 
加藤氏が、三基の石塔について解説してくれた。

子の権現塔

子の権現塔

赤いトタンの屋根囲いに安置されている坐像は「子の権現」(ねのごんげん)。子の権現とは、平安時代の天長9年(832)、子の年、子の月、子の日、子の刻に生まれたとされる聖人。子の権現の名で親しまれている。

二十一仏板碑

二十一仏板碑

墓地の一画に土が盛られて小高くなっているところがある。そこに二基の石塔が置かれている。そのうちの一基は、安土桃山時代・天正6年(1578)在銘の二十一仏板碑(上の写真)。虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を主尊に、21の諸仏が梵字で刻まれている。
 
この二十一仏板碑は、長らく倒れたままになっていたが、最近、地元の方によって修復された。

案内役の秦野氏

現在、越谷市内では、9基の二十一仏板碑が確認されています。この板碑はそのうちの一基で、ひじょうに貴重なものです。

宝篋印塔

宝篋印塔

二十一仏板碑の隣にあるのは宝篋印塔(ほうきょういんとう)。笠と最頂部の相輪(そうりん)は、下に置かれている。

加藤氏

石塔に傾きがあったので、それを修復するために、今年(2022年)の2月に、宝篋印塔を分解し、積み直しました。このときに、内部の中心部分が円柱状の空洞になっていることが判明しました。

隙間

隙間

塔身と基礎の間に隙間が確認できる(上の写真の黄色い○印)。この隙間は、「お経を宝篋印塔の中の空洞に納めるためのものだったと思われる」と、加藤氏が、話をしてくれた。

古道|平方東京線へ

福寿院墓地をあとに、古道に戻り、平方東京線へと向かう。

加藤氏

かつてこの近くに、江戸時代に増林村の名主をつとめたり、明治・大正・昭和にかけては、増林村の村長や県議会議員をつとめた旧家がありました。現在、屋敷跡地の一部は、増林上一区公園として開放されています。

文字庚申塔|古道脇

文字庚申塔

平方東京線に向かう途中、古道の脇に、小さな木の祠と、石塔が並んでいた。石塔は、江戸後期・天保7年(1836)の文字庚申塔。正面の主銘は「庚申」。主銘の上に「日月」、下には「三猿」が陽刻されている。台石には、寄進者16人の名前がみえる。

平方東京線に出る

平方東京線

平方東京線に出る。道路を渡って右へ。

文字庚申塔|平方東京線脇

文字庚申塔|平方東京線脇

20メートルほど歩いた先の丁字路の角地に、駒型の石塔と小さな社がある。石塔は、江戸後期・天保7年(1836)造立の文字庚申塔。正面の主銘は「庚申」。主銘の上に「日月」、下に「三猿」が、浮き彫りされている。台石には寄進者15人の名前が見える。
 
同行した地元の尾川(おがわ)氏の話によると「このあたりでは、平成8年(1997)ごろまで、月に一回程度、庚講(かのえこう=庚申講)が行なわれていた」とのことである。

尾川氏

かのえこう(庚講)と言いましても、私の知るかぎりでは、信仰の行事というよりも、宴会といった感じになっていました。

浄光庵跡

平方東京線を直進。右手に墓地が見える。ここは浄光庵(じょうこうあん)と呼ばれた庵(いおり)跡。墓地内の墓石には家名が刻まれているので写真撮影は控えた。

馬頭観世音文字塔

馬頭観世音文字塔

前方左手に駐在所が見えてきた。駐在所手前の道を左に曲がると、前方右手、小道の脇に、菱形をした自然石の石塔が置かれている。正面の主銘は「馬頭観世音」。大正2年(1913)造立。裏面には「大正二年十一月廿三日」とある。

加藤氏

増林は農村地帯でしたので、農耕馬を飼う家が多く見られました。その馬頭観音の信仰上の記念碑です。

五大の梵字付き墓塔

四基の墓塔

平方東京線に戻る。道路を渡って、50メートル先の十字路を右折。
 
個人宅の塀際に、4基の墓塔が並んでいる。左から二番目、板碑型の石塔は、江戸前期・寛文4年(1664)の五大の梵字付き墓塔。正面の最頂部に、梵字・アーンク。その下に、五文字の梵字(キャ・カ・ラ・バ・ア)が刻まれている。

加藤氏

五文字の梵字(キャ・カ・ラ・バ・ア)は、万物を創り出す五大元素(空・風・火・水・地=くう・ふう・か・すい・ち)を意味し、仏教で説く「五大(ごだい)の教え」のことです。


 
このあと林泉寺へと向かった。
 

前半はここで終了

林泉寺|山門前

前半はここで終了。後半の様子は、2記事目で紹介している。

謝辞

本記事をまとめるにあたっては、越谷市郷土研究会顧問・加藤幸一氏の指導を仰ぎ、校閲もしていただいた。加藤氏には心からお礼申しあげます。

参考文献

本記事を作成するにあたっては、石仏や石塔の金石文を確認するさいに、取材メモのほかに、関係書籍や調査報告書とも照らし合わせた。参考にした文献を以下に記す。中でも今回の巡検で案内役をつとめた越谷市郷土研究会・顧問の加藤幸一氏の調査報告「増林地区の石仏」によるところが大きい。

参考文献

加藤幸一「増林地区の石仏」平成16・17年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)
越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)
越谷市史編さん室編『越谷ふるさと散歩(下)』越谷市史編さん室(昭和55年4月30日発行)
『新編武蔵風土記稿 第十巻(大日本地誌大系)⑯』雄山閣(平成8年6月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青砥書房(2011年4月1日発行)