越谷市神明町一丁目の墓地(三蔵院跡)にある宝篋印塔(ほうきょういんとう)が刻まれている墓石を調べた。場所は、神明橋西詰の神明町二丁目交差点から越谷流山線を元荒川の流れに沿って500メートルほど進んだ先の丁字路を右折してすぐ左手にある。

三蔵院跡

三蔵院跡|越谷市神明町

調査したのは、2024年7月27日。ブロック塀で囲まれた墓地は、間口が狭くて奥行きが深い。うなぎの寝床のようだ。この場所は、かつて三蔵院(さんぞういん)と呼ばれた寺の跡地(※1)

※1 越谷市郷土研究会 第488回(2018年)史跡めぐりレジュメ「越ヶ谷宿のふるさと宮本町」8頁に、「三蔵院は明治五年(1872)に廃された」旨が記されている。

史跡めぐりレジュメ「越ヶ谷宿のふるさと宮本町」は越谷市郷土研究会のホームページで閲覧できる。リンク先を以下に示す。
http://koshigayahistory.org/180325_488th_s_m_.pdf

宝篋印塔が刻まれている墓石

宝篋印塔が刻まれている墓石

墓地の一画に 宝篋印塔(ほうきょういんとう)が刻まれている江戸時代の墓石がある(上の写真の左端)。宝篋印塔そのものが墓塔になっているのは越谷市内にもあるが、墓石に宝篋印塔が刻まれているのは珍しい。

宝篋印塔とは、

内部に「宝篋印陀羅尼経」(ほうきょういんだらにきょう)を納めたことに由来する供養塔。上から相輪・笠・塔身・基礎の四つの部分からなる。江戸時代になると、陀羅尼経とは無関係に、墓塔または供養塔として造立された。

形状

宝篋印塔が刻まれている墓石

墓石の型式は駒型。江戸中期・寛保元年(1741)造立。正面中央に宝篋印塔が陽刻されている。
 
塔の構造は、上から相輪・笠・塔身・塔身・基礎。塔身が、上段・下段と、二重構造になっている。
 
向かって右手に、「圓了信士」(えんりょうしんじ)と、戒名が刻まれている。「圓」は「円」の旧字体。「信士」は男性の位号(いごう)

造立年

銘

向かって左手には「寛保元壬酉三月廿七日」と、造塔年月日が、刻まれている。「廿七日」は「二十七日」。「廿」は「二十」を表わす字。
 
「寛保元」「壬酉」(みずのえとり)とあるが、「壬酉」という干支はない。寛保元年の干支は「辛酉」(かのととり)なので、「寛保元壬酉」は「寛保元辛酉」の誤りと思われる。

相輪・笠

相輪と笠|宝篋印塔

塔の最頂部は「相輪」(そうりん)。いちばん上は、請花(うけばな)に載った宝珠(ほうじゅ)。その下は、請花に載った九輪(くりん)
 
九輪を載せた請花の下にある四角い台は露盤(ろばん)。露盤の下は「笠」(かさ)になっている。
 
笠の両端には「隅飾」(すみかざり)と呼ばれる突起が刻まれている。隅飾は「馬耳状突起」(ばじじょうとっき)ともいう。

塔身①

塔身①|宝篋印塔

笠の下は請花に載った塔身①(※2)

※2 塔身(とうしん)は、上段・下段の二重構造になっているので、上段の塔身を「塔身①」、下段の塔身を「塔身②」とした。

塔身①には、梵字「タラーク」が刻まれている。実際の宝篋印塔の塔身(四面)には、大日如来の四方に鎮座する仏(金剛界四仏)の種子(しゅじ=梵字)が刻まれている。「タラーク」は南に鎮座する宝生如来(ほうしょうにょらい)の種子。

塔身②

塔身②|宝篋印塔

下段は請花に載った塔身②。金剛界大日如来を表わす梵字「バーンク」が刻まれている。

請花・返花

塔身②の下にある台座は「請花」(※3)。塔身②の上にある台座は「返花」(※3)

※3 請花(うけばな)は、上を向いている蓮華の花弁が描かれた台座。返花(かえりばな)は、下向きの蓮華の花弁が描かれた台座。

基礎

基礎|宝篋印塔

最下部の四角い台は「基礎」。中央に蓮弁(れんべん)を図案化した格狭間(こうざま)と呼ばれる文様が刻まれている。

他の石造物

墓地内にある他の石造物も紹介する。

僧侶の墓石

僧侶の墓石

僧侶の墓石二基。向かって左は江戸中期・元禄3年(1690)、右は元禄2年(1689)造塔。二基とも戒名の上に僧位の最高位を表わす「法印」(ほういん)の称号が刻まれている。
 
左の墓石の戒名は「法印賢鏡不生位」。右の墓石の戒名は「法印盛胤不生位」。「不生位」(ふしょうい)は真言宗の僧侶の位号。
 
この二人の僧侶は、もしかしたら、かつてここにあった三蔵院の住職かもしれない。

地蔵菩薩立像

地蔵菩薩立像

蓮台(れんだい)の上に載っている丸彫りの地蔵菩薩立像。左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しゃくじょう)。造立年代は不詳。

五輪塔

五輪塔

五輪塔(ごりんとう)。造立年代は不詳。五輪塔は、空・風・火・水・地の五つをかたどった石を順番に積み上げた石塔。墓や供養塔として用いられることが多い。

如意輪観音

如意輪観音を主尊とした墓石

如意輪観音が浮き彫りされた舟型の墓石。年代不詳。如意輪観音は、墓標仏(ぼひょうぶつ)として、江戸時代の女性の墓石に多く見られる。

場所

三蔵院跡墓地|越谷市神明町

墓地(三蔵院跡)の場所は、越谷市神明町一丁目にある忠保の甲冑(越谷市神明町1-39-2)の道路をはさんだ東側にある( 地図

注意

墓地なので調査には配慮が必要。むやみに墓所に踏み入るなどの行為は厳禁。

参考文献

本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。

参考文献

庚申懇話会編『日本石仏事典(第二版新装版)』雄山閣(平成7年2月20日発行)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
第488回史跡めぐりレジュメ「越ヶ谷宿のふるさと宮本町」越谷市郷土研究会(平成30年3月25日配布)