越谷市南荻島の南西を通る荻島仲良し通り沿いにある江戸後期・寛政2年(1790)造立の青面金剛像庚申塔を調べた。調査日は2023年11月28日。昔と変わらぬ路傍の石仏を写真とともにお伝えする。
青面金剛像庚申塔|寛政2年
庚申塔のうしろには田んぼが広がっている。
石塔型式は駒型。江戸後期・寛政2年(1790)造立。石塔の正面に刻まれているのは、最頂部の左右に瑞雲に乗った「月」と「日」(※1)。中央に青面金剛像。その下に邪鬼、邪鬼の両脇に二鶏、最下部に三猿。
※1 石塔に向かって左側の「月」は確認できるが、左側に陽刻されていたと思われる「日」(太陽)の部分は、すり減ってしまっていて、形は確認できない。
像容と持物
青面金剛像は剣人型(※2)
※2 青面金剛像は大別すると、「合掌型」(がっしょうがた)と「剣人型」(けんじんがた)がある。中央の両手で合掌しているのが合掌型。左手で、ショケラと呼ばれる人身(じんしん)の髪をつかみ、右手で剣を持っているのが剣人型。
持物は、左の上手に法輪、中手にショケラ、下手に弓。右の上手には三叉鉾(さんさぼこ)、中手に剣、下手に矢を持っている。剣の上部は欠けていて、ショケラもかなり風化しつつある。
邪鬼・二鶏・三猿
青面金剛に踏まれているのは邪鬼。邪鬼の両側に二鶏(にけい)。向かって左側はめんどり、右側にはおんどりがいると思われるが、劣化していて、おんどりの姿は確認できない。
越谷市郷土研究会・加藤幸一氏の平成14年度現地調査報告「荻島地区石仏」(※3)には、おんどりのスケッチが描かれているので、調査当時(2002年)は、陽刻されたおんどりの姿が確認できたのかもしれない。
※3 加藤幸一「荻島地区石仏」平成14年度調査/平成29年3月改定(越谷市立図書館所蔵)「荻島37.青面金剛像庚申塔」20頁
脇銘
左側面の脇銘は「寛政二戌十一月吉日」
右側面
右側面には何も刻まれていない。
台石
台石の正面には、寄進者19人の名前が刻まれている。鈴木治兵衛・大塚右ヱ門・豊田久左ヱ門・川上与右ヱ門・松沢久兵衛・会田佐右ヱ門・大熊重右ヱ門・根岸伊兵衛・島村久右ヱ門などの名前が確認できる(※4)
名前は目視できるものが多かったが、上記の寄進者名は、「荻島地区石仏」(※4)と照らし合わせた。
※4 加藤幸一「荻島地区石仏」平成14年度調査/平成29年3月改定(越谷市立図書館所蔵)「荻島37.青面金剛像庚申塔」59-60頁
新旧写真
昭和45年(1970)ごろに撮影された、この青面金剛像庚申塔の写真が、越谷市デジタルアーカイブで公開されているので、新旧写真を比べてみた。
上の写真の上段が昭和45年(1970)ごろ(※5)。下段が今回調査した令和5年(2023)11月28日。石塔は53年前と同じ場所にある。
※5 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 南荻島・村道(荻島仲良し通り))
新旧写真|別アングル
同じく越谷デジタルアーカイブに公開されている別アングルの写真を新旧比べてみた。上の写真の上段は昭和40年~50年代に撮影されたものと思われる(※6)。下段は令和5年(2023)11月28日撮影。
田園風景は50年前とほぼ変わらず残っている。残しておきたい越谷の風景のひとつだ。
※6 出典:越谷市デジタルアーカイブ( 南荻島・旧村道の青面金剛像庚申塔)
場所
青面金剛像庚申塔がある場所は、荻島仲良し通り沿い(越谷市南荻島)。シマムラ園芸ビニールハウスの南50メートルにある( 地図 )。東は草加バイパス、西は末田大用水。
参考文献
本記事を作成するにあたって、引用した箇所がある場合は文中に出典を明示した。参考にした文献は以下に記す。
加藤幸一「荻島地区石仏」平成14年度調査/平成29年3月改定(越谷市立図書館所蔵)
日本石仏協会編『石仏巡り入門―見方・愉しみ方』大法輪閣(平成9年9月25日発行)
日本石仏協会編『新版・石仏探訪必携ハンドブック』青娥書房(2011年4月1日発行)