石塔群

石塔群

地蔵堂の横にある鞘堂(さやどう)には、馬頭観音文字塔のほか、六十六部供養塔、上部が欠けた板碑などが 7基並べられているが、どれも劣化が進んでいて、主尊や碑銘が確認できないものが多い。

馬頭観音文字塔

馬頭観音文字塔

江戸後期・天保7年(1836)造塔の「馬頭観音」文字塔。石塔型式は駒型。正面上部に「馬頭」「天保」の文字が目視で確認できるが、石塔の下部は劣化がひどく、碑文は判読不能。
 
加藤幸一(2001)「大沢町・越ヶ谷町の石仏」(※7)に、この馬頭観音塔の碑文について「馬頭観□□(世音)」「天保七甲十一月□□」と、記されている。現在(2022年12月22日現在)は、「馬頭」「天保」の文字しか読めない。

※7 加藤幸一「大沢町・越ヶ谷町の石仏」平成13年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)(8)地蔵橋の地蔵堂「26.『馬頭観音』文字塔」32頁

六十六部供養塔

六十六部供養塔

江戸中期・宝暦9年(1759)造塔の六十六部供養塔(※8)。石塔型式は隅丸型。

※8 六十六部供養塔(ろくじゅうろくぶ・くようとう)とは、全国66か所の寺院(霊場)を巡礼して、書写した法華経を一部ずつ奉納した記念に建てられた供養塔のこと。六十六部廻国供養塔とも呼ばれる。

正面の最頂部中央に「梵字キリーク」。その斜め下の両脇に「梵字サク」と「梵字サ」。「キリーク」は阿弥陀如来、「サク」は勢至菩薩、「サ」は観世音菩薩。三つの梵字(キリーク・サク・サ)で阿弥陀三尊を意味する。
 
主銘は「奉納大乗妙典六十六部供養」。向かって右手の脇銘は「日月晴明」「宝暦九己卯星」「新方領大沢町」。向かって左手の脇銘は「天下和順」「十一月吉辰日」「願主源心」

側面

六十六部供養塔|側面

左側面(上の写真の左側、黄色い四角〈□〉で囲んだ中)には「一切為精霊」、右側面(上の写真の右側、黄色い丸印〈○〉で囲んだ中)には「此敷地太郎兵衛分也」とある。
 
碑文は目視で確認できたが、誤読を防ぐために、加藤幸一「大沢町・越ヶ谷町の石仏」平成13年度調査/平成31年7月改訂(越谷市立図書館蔵)(8)地蔵橋の地蔵堂「27.六十六部供養塔」32頁と、照らし合わせた。

文字塔|主銘不詳

文字塔|主銘不詳

駒型の石塔。年代は不詳。正面中央に刻まれている「為玄」の二文字は目視で確認できるが、その下の文字は読みとれない。僧侶の墓石かもしれない。この石塔は上下に割れて補修された跡がある。

石塔|種類不詳

石塔|種類不詳

年代不詳の石塔。主尊・主銘とも不明。何の石塔かはわからない。正面上部に座像が陽刻されていたような痕跡があるが、文字などはまったく読みとれない。

主尊不明の石塔

主尊不明の石塔

主尊不明の石塔。年代不詳。下部の陽刻された部分を見ると、地蔵菩薩か観音菩薩が陽刻されているようにも思えるが、判断できない。石塔の上部も欠けてしまっている。

主尊不明の石仏

主尊不明の石仏

主尊不明の石仏。年代不詳。石塔型式は駒型。石塔表面の剥落(はくらく)が著しく、主尊も碑銘も分からない。主尊の顔の部分が斜めになっているので、如意輪観音座像のようにも見える。そうすると、江戸時代後期の女性の墓石か月待塔かもしれない。

板碑

板碑

最頂部が欠けている板碑(※9)

※9 板碑(いたび)とは、鎌倉・室町時代にかけて盛んに造られた石造りの供養塔=卒塔婆(そとば)のこと。板状の平たい石で造られたことから板碑と呼ばれている。板石塔婆(いたいしとうば)ともいう。

梵字の「サク」(勢至菩薩)と「サ」(聖観音菩薩)が読みとれる。欠けている部分の梵字は、阿弥陀如来を表わす「キリーク」と思われる。
 
『越谷市金石資料集』(※10)によると、この板碑の梵字は阿弥陀三尊とあるので、欠けている部分の梵字は、阿弥陀如来を表わすキリークで間違いない。キリーク(阿弥陀如来)・サ(聖観音菩薩)・サク(勢至菩薩)で阿弥陀三尊を表わす。

※10 越谷市史編さん室編『越谷市金石資料集』越谷市史編さん室(昭和44年3月25日発行)板碑図版「62.明応三年(1494)阿弥陀三尊」52頁

梵字の下の銘文は「明応三年甲刃」「道清禅門」「三月十四日」

大沢町でいちばん古い板碑

2022年11月2日に行なわれた第518回越谷市郷土研究会史跡めぐり兼リバーウォークガイドツアーで、案内役の秦野氏(越谷市郷土研究会・副会長)から「この板碑は今から528年前、戦国時代の明応3年(1494)に建てられたもので、大沢町ではいちばん古い板碑」との解説があった。

手水鉢

手水鉢

石塔群の手前に置かれている手水鉢(ちょうずばち)。江戸後期・天保7年(1837)に奉納された。正面に「奉納」「盥顒若」と刻まれている。

「盥顒若」は、

古代中国の占いの書、易経(周易)に出てくる言葉。「観、盥而不薦、有孚顒若」。読み方は、観(かん)は、盥(てあら)いて薦(すす)めず、孚(まこと)ありて顒若(ぎょうじゃく)たるべし。
 
「盥顒若」は、盥(てあら)いて顒若(ぎょうじゃく)たるべし、と読む。盥(てあら)いとは、手を洗い清めること。顒若(ぎょうじゃく)は、うやうやしくおごそかなこと。手を洗って身を清めてから、うやうやしくおごそかに神仏を敬う、の意。

側面

手水鉢

側面には「天保七歳」「二月初午」「伊藤貞固」とある。