県民健康福祉村の北400メートル、西新井通り(市道2262号線)沿いに鎮座している石神井神社(いしがみいじんじゃ)。住所は埼玉県越谷市西新井314。伝承によると創建は安土桃山時代で、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神とし、村の鎮守として崇められてきた。境内には、浅間大神(あさまのおおかみ)と磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀る富士塚があり、神池(しんいけ)の横手には、青面金剛庚申塔(しょうめんこんごうこうしんとう)など五基の石仏が置かれている。
富士塚
本殿を正面に見て左手にある富士塚。頂上に「浅間大神」と刻まれた文字塔、右下には「磐長姫命」と刻まれた文字塔がある。そのほかにも三基、自然石型の石碑が置かれているが、劣化していて、銘文は読み取れない。富士塚の登山口にあたる左下には、氏子(うじこ)たちによる富士山を信仰する浅間講(せんげんこう)の記念碑(富士講碑=ふじこうひ)が建てられている。
浅間大神文字塔
浅間大神(あさまのおおかみ)文字塔。自然石型。年号は不詳。『埼玉の神社』(埼玉県神社庁)によると「(石神井神社)末社の祭事として、浅間大神の祭りが七月一日にある」「戦前は地元の先達(せんだつ)や浅間講の信者たちが白装束で護摩祈祷(ごまきとう)を行なったものであった」とあり、浅間大神の祭りでは、地元の獅子舞連による獅子舞が奉納されたことが記されている。
磐長姫命文字塔
磐長姫命(いわながひめのみこと)文字塔。自然石型。造立年代は不詳。磐長姫は、日本神話に登場する女神で、岩のように永久に変わらない命を象徴することから、庶民の間では、長寿の神様として崇められてきた。頂上の浅間大神とともにイワナガヒメが祀られているのも富士塚の特徴のひとつ。
富士講碑
富士講碑(ふじこうひ)。自然石型。明治28年(1895)造立。上部に富士山の図と笠印(かさじるし)。その下には「大日本帝国萬歳」「鎮守」「氏子中」「社惣代」とあり、惣代(総代)5人、世話人20人、扶桑教(※1)社員14人、石工(いしく)の名前、左下に建立年月(維時明治廿八乙未年六月)が刻まれている。石神井神社の鎮座する西新井地区では富士講(浅間講)が盛んだったことをうかがわせる。
※1 各地に散在していた富士講をまとめて明治6年(1873)に設立された富士山神道系の教団。石神井神社の富士講碑には丸岩講の笠印があるが、富士講碑を建立したのは扶桑教社員であることから、この地域の丸岩講も明治28年には扶桑教に取り込まれていたと思われる。
丸岩講
石碑の最頂部にある「○に岩」のマークは、丸岩講(まるいわこう)と呼ばれる富士講の一派の笠であることを示す笠印。丸岩講は埼玉県岩槻(現・さいたま市岩槻区)を本拠とし、春日部・越谷・野田・松伏・川口などの周辺地域に伝わった。越谷市では、石神井神社のほかに、平方浅間神社(平方)・船渡香取神社(船渡)・神明社(神明町)の石碑に、丸岩講の笠印がみられる。
石仏
「指定村社石神井神社」と刻まれた社号標の脇に二基、神池の横手に三基の石仏が並んでいる。神池の横手にある三基の石仏は、石神井神社から400メートルほど東にあった北前の稲荷神社(北後谷)に置かれていたものだが、2020年の3月末に稲荷社が取り壊されたので、この場所に移された。
青面金剛庚申塔|社号標脇
向かって左側、小さいほうの青面金剛(しょうめんこんごう)庚申塔。駒型。江戸後期・嘉永3年(1850)造立。●正面…上部に日輪・月輪(がちりん)、中央に二匹の邪鬼を踏みつけている青面金剛像(六臂=ろっぴ=六本の手)、その下に三猿(さんえん=三匹の猿)●左側面…嘉永三戌九月吉日●右側面…西新井村 講中
向かって右側、大きいほうの青面金剛庚申塔。角柱型。江戸後期・万延元年(1822)造立。●正面…上部に日輪と月輪、中央に邪鬼を踏みつけている青面金剛(六臂)、その下に三猿。●左側面…万延元庚申年九月●右側面…天下泰平邨中安全。台石には「西新井村講中」と彫られ、村人の名前が刻まれているが、風化がひどく人名は解読不能。
北前の稲荷社から移された石仏
北前の稲荷社(北後谷)から移された三基の石仏。向かって左から青面金剛庚申塔・出羽三山供養塔・不動明王三尊像。
上の写真は、2020年5月28日に撮影。右上に北前の稲荷社から移された三基の石仏が映っている。
こちらの写真は、2019年1月4日に撮ったもの。右上には、三基の石仏は見えない。
北前の稲荷社跡地
上の写真は、2020年3月末に取り壊された北前の稲荷神社跡地(撮影日は2020年5月28日)。田んぼの一画に鎮座していた。「北前」とは「北後谷前谷」(きたうしろやまえや)の略称で、旧・後谷村(現・北後谷)の「前谷」と呼ばれていた地区。石神井神社は西新井村の鎮守で、北前の稲荷神社は北後谷前谷の鎮守だった。『新編武蔵風土記稿』後谷村の項に「稲荷社 村の鎮守にて、光明院の持」とある。
青面金剛庚申塔
青面金剛庚申塔。駒型。江戸後期・寛政4年(1792)造立。●正面…上部に日輪と月輪、中央に邪鬼を踏みつけている青面金剛像(六臂)、両脇に二鶏、邪鬼の下に三猿。●左側面…寛政四子歳八月吉日●台石には、講中15人の名前が刻まれている。
出羽三山供養塔
出羽三山供養塔。江戸後期・文化9年(1812)造立。角柱型。●正面(上部)日輪と月輪(中央)月山 湯殿山 羽黒 供養塔●左側面…文化九申年八月吉日 天下太平 五穀成就●右側面…埼玉郡越ヶ谷領後谷村 大先達 大乗院●台石(正面)世話人・講頭・講中12人の名前(左側面)四丁野村講中 西新井村講中(右側面)12人の名前
不動明王三尊像
不動明王三尊像。江戸後期・嘉永4年(1851)造立。駒型。●正面(上部)不動明王坐像(下部)矜羯羅童子像〈こんがらどうじ〉・成田山・制多迦童子〈せいたかどうじ〉●左側面…天下太平 村内安全 嘉永四辛亥年 仲秋日●右側面…埼玉郡 越谷領 後谷村●台石(正面)願主・世話人16名の名前(左側面)草加宿 石工 青木宗政(右側面)願主12名の名前
もともとは、北前の稲荷社の祠の中に安置されていたので、風雨にさらされなかったために、隣に並べられている二基の石仏に比べて保存状態がとてもよい。
石神井神社
石神井神社の創建は、16世紀、安土桃山時代(天正年間)と伝えられ、『新編武蔵風土記稿』西新井村の項に「石神社 村の鎮守なり 普門院の持」とある。百日咳(ひゃくにちぜき)に霊験があるとして、近郊の人々から親しまれてきた。住所は埼玉県越谷市西新井314( 地図 )。近くには、手打ちそば福寿庵、イチゴ農園HMPベリーファーム、埼玉県立越谷西特別支援学校、埼玉県民健康福祉村などがある。