越谷市越ヶ谷の久伊豆神社参道にある道しるべを兼ねた文字庚申塔には烏帽子をかぶった三匹の猿が陽刻されている。烏帽子をかぶった三猿が刻まれている庚申塔は越谷市内では数少ない。現地で調査したので写真とともにお伝えする。
文字庚申塔
調査日は2024年2月15日。庚申塔の場所は、三の鳥居の手前、灯籠の脇にある。拝殿を正面に見て参道の左手(藤棚側)。石塔型式は駒型。江戸後期・寛政12年(1800)に建立された。
正面
正面の最頂部には、陽刻された瑞雲に乗った月と太陽。中央には「庚申」と大きく刻まれている。下部には烏帽子をかぶった三匹の猿(三猿=さんえん)が浮き彫りされている。三猿については後述。
左側面
左側面の脇銘は「寛政十二庚申年三月吉日」
右側面|道しるべ
右側面は、道しるべになっている。刻まれている文字は、
- はしの方 江戸
- みや乃方さしま
- 川かみ かすかべ
- 川しも 二がうはん
銘文の意味は、
- 橋の方角は江戸
- 神社の方角は猿島
- 元荒川の川上は粕壁(春日部)
- 元荒川の川下は二郷半
さしま(猿島)は、茨城県の猿島(さしま)。現在の坂東市。二郷半(にごうはん)は、現在の吉川市から三郷市にかけての地域。
烏帽子をかぶった三猿
正面の最下部に刻まれている三猿は烏帽子をかぶって、法被(はっぴ)を着ている。向かって左から言わざる、聞かざる、見ざる。
言わ猿
向かって左端は言わ猿。右手で口を押さえ、モモの実の付いた枝を左肩に担いでいる。
聞か猿
中央は聞か猿。顔と右腕、左手の部分が欠けてしまっているが、両手で耳をふさいでいる姿には見える。
見猿
向かって右端は見猿。左手で左目を押さえ、右腕は上に突き上げ、中指を立てている。
台石
石塔は、下部が欠けた台石の上に置かれているが、台石と石塔(庚申塔)は、もともとは別のものだったように見える。
台石には文字が刻まれているが、下部が欠けているので判読できない。
講中 四 待申庚
町
野
もしかしたら上記のように「庚申待 四町野(四丁野)講中」と刻まれていたのかもしれない。
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越谷市恩間の勢至堂にも烏帽子をかぶった三猿が刻まれている庚申塔がある。下記記事参照。
越谷市恩間の勢至堂(せいしどう)にある庚申塔と石仏などの現状を調査した。当日の様子を写真とともに紹介する。場所は越谷市立大袋北小学校の西50メートル、間久里川(まくりがわりょくどう)緑道から南に入ったところにある。
補足|灯籠
庚申塔は灯籠の脇に置かれているが、参道両脇の灯籠は昭和2年(1927)に寄進されたもの。
寄進者は木下半助
寄進者は越ヶ谷宿の木下半助(きのしたはんすけ)。灯籠の柱に「昭和拾二年一月奉献 越ヶ谷町 木下半助」の銘が刻まれたプレートが組み込まれている。
木下半助は、越ヶ谷宿の金物屋・木下半助商店の当主。
木下半助商店
木下半助商店は今も健在(上の写真)。明治期の越ヶ谷宿の面影を残しているとして、「店舗及び土蔵・石蔵・主屋・稲荷社」が平成27年(2015)に越谷市で初めて国登録有形文化財となった。
参拝情報|越ヶ谷久伊豆神社
越ヶ谷久伊豆神社の住所は埼玉県越谷市越ヶ谷1700( 地図 )。郵便番号は 343-0024。駐車場は(専用・第二・第三)三箇所ある。