谷古田取水口公園
しらこばと橋に向かう途中、右手の三角地帯をのぞくと、下を谷古田用水(やこたようすい)が流れている。水路の周囲は谷古田取水口公園(やこた しゅすいこう こうえん)として整備され、階段があって下にも下りられるようになっている。
取水口(しゅすいこう)とは、川から用水路に水を送り込む取り入れ口のこと。元杁(もといり)とも呼ぶ。
谷古田用水元杁煉瓦樋管
階段を下りてみた。取水口がレンガ造りになっている。かなり古そうだ。
道路の下を通っているこのトンネルは樋管(ひかん)と呼ぶ。この樋管ができたのは明治24年(1891)。現存する日本最古のレンガ水門だ。名称は谷古田用水元杁煉瓦樋管(やこたようすい もといり れんが ひかん)。
谷古田用水の起点
瓦曽根溜井の水は、樋管を通って、谷古田用水として、草加方面に農業用水を供給している。この場所が谷古田用水の起点になる。ちなみに谷古田用水ができたのは江戸前期・延宝8年(1680)。越谷では、瓦曽根・登戸・蒲生の三か村を通ることから「さんがわ」「さんが」とも呼ばれた。
階段をのぼって道路に戻る。
道しるべ付き庚申塔
階段をのぼった丁字路の角地に石塔が一基建っている。この石塔は道しるべを兼ねた庚申塔(こうしんとう)。造立は江戸中期・享保8年(1723)。正面に「庚申講中」(こうしんこうじゅう)と刻まれている。講中とは仲間の意。
庚申塔は、60日に一度やってくる庚申の日(こうしんのひ=かのえさるのひ)に徹夜して過ごす庚申待ちと呼ばれる行事を行なった記念に建てられた石塔です。 多くは庚申待ちを3年18回続けた記念に建てられました。
道しるべ
左側面の文字は「これより上、ぢおんじ三里はん」。ここから上流に約14キロメートル行くと慈恩寺(じおんじ)。慈恩寺はさいたま市岩槻区にある慈恩寺のこと。
右側面には「これより左、吉川へ壱里大さかみ内」(ここから左へ吉川までは約4キロ。ここは大相模不動尊の区域内)「これより、右市川まて五里」(ここから右へ市川〔現・千葉県市川市〕まで約20キロ)とある。
瓦曽根溜井防水碑
道しるべ付き庚申塔の東側から谷古田用水に沿って谷古田河畔緑道と呼ばれる遊歩道が整備されている。緑道の起点にあたるところには樹木が茂っていてちょっとした木陰になっている。ベンチもあるのでひと休み。
ベンチの前に建っている大きな石碑は「瓦曽根溜井防水碑」(かわらぞねためいぼうすいひ)。明治23年(1890)8月、関東を襲った大洪水のさいに、村民が必死に瓦曽根溜井堤の補強につとめて、瓦曽根地域の水害を防いだ旨が刻まれている。
この石碑は大洪水の3年後、明治26年(1893)に建てられた。大洪水のとき、防水をめぐって村同士が対立し、争いに巻き込まれた巡査がひとり殉職したとのことである。
瓦曽根溜井防水碑をあとに、しらこばと橋へと向かった。
移動|しらこばと橋交差点
横断歩道を渡って、しらこばと橋交差点で信号待ち。前方にしらこばと橋が見える。
しらこばと橋
しらこばと橋に到着。元荒川と瓦曽根溜井に架かる越谷八潮線(埼玉県道115号)の道路橋で、平成6年(1994)11月に開通した。橋塔(きょうとう)から斜めに張ったケーブルで橋を支える越谷市内初の斜張橋(しゃちょうきょう)として、開通当時は話題になった。
橋の名前は越谷周辺に生息するシラコバトにちなんで名づけられました。橋の姿は、二羽のシラコバトが翼を広げて寄り添い、大空に向かって飛び立つ様子をイメージしたといわれています。
しらこばと橋は渡らずに親柱(おやばしら)の手前を右折。
瓦曽根堰|旧赤水門スポット広場
瓦曽根堰(かわらぞねぜき)に到着。しらこばと橋からは約50メートル。水門の周囲は旧赤水門スポット広場として整備されている。瓦曽根溜井(逆川)は、この水門で取水される。
放水口
取水された瓦曽根溜井(逆川)の水は地下を通って下流側に放流される。放水口(上の写真)から150メートルほど先で、逆川は元荒川と合流する。そこから下流は元荒川ひと筋の流れとなる。
赤水門の写真
かつて、今の水門から30メートルほど下流側に、赤水門(あかすいもん)と呼ばれる大正13年(1924)に設けられた水門があったが、平成8年(1996)、老朽化のために撤去され、翌年、平成9年(1997)に今の施設が設けられた。
当時の赤水門の写真をガイドさんが見せてくれた。赤い鉄枠で組まれた鉄筋コンクリート製の水門になっている。水門を自転車で通る子どもたちの姿も映っている。なんとものどかな風景だ。
記念碑
かつて赤水門に使われた赤い鉄製ゲートをかたどった記念碑が建てられていた。
旧・赤水門跡
赤水門があった場所は舗装されて遊歩道になっている。
大正13年に赤水門ができる前は、しらこばと橋の上流50メートルほどのところに、江戸後期・寛文4年(1664)に造成された石堰(いしぜき)と呼ばれる、川の流れをせきとめて、水位を調節する石が積み上げられていた、という話を地元の古老から聞いたことがある。
移動|元荒川緑道
旧赤水門の見学を終え、元荒川右岸の土手道(元荒川緑道)を下流に向かって歩く。土手道の両側は新緑。見上げると青い空。心地よい風がほほをなでる。瓦曽根スポット広場を過ぎて、さらに先を進む。
距離標
土手道には100メートルおきに距離標が設置されている。「不動橋まで700メートル」「しらこばと橋から450メートル」地点を通過。
土手道を下りる
さらに300メートルほど歩いて、土手道を下りる。階段の脇で、開花の準備をはじめたアジサイが、一行(いっこう)を見送ってくれた。